自分の経験に照らした箴言(しんげん・戒めの言葉)は説得力がある。ところが聖人君子の言葉は権威があるから自分の体験にあてはめることなく他人にあてはめて人を罰する(非難する)ことが往々にしてある。権威でおさえつけるしか「方法がない」人もいるが、先人が悩み、たどりついた言葉を味わう境地にまで「自分のもの」にしてから発したい。