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簿記的思考のすすめ – その2 わらしべ長者の簿記的考察

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簿記的思考のすすめ - その2 わらしべ長者の簿記的考察

■ はじめに

前回、私の簿記的思考について述べた。そのあらましは次のようなものであった。(1)仕訳の借方・貸方は、借方=テイク(目的)貸方=ギブ(手段)と読み替えることができる(借方・貸方と言われてわかる社長は少ないがギブ&テイクだったらわかってもらえる)。(2)簿記の前提条件(会計単位・会計期間・貨幣金額表示)は柔軟な簿記的思考を妨げるので無視する。取引は物々交換で考える。(3)勘定科目がわからなければ自分で考えてつくればいい((3)は財務諸表論を教えていただいた横山和夫氏の言葉である)

今回は誰でも知っている昔話(わらしべ長者)を教材に簿記的思考を展開してみたい。

■ わらしべ長者

まず、簿記的思考の展開上物語のあらましを述べておこう(出典は坪田譲治著「日本むかしばなし集(一)」新潮文庫:昭50.3.30)

a.昔、京の貧乏男が長谷寺の観音様を何日も拝んだ。ある夜の明け方観音様より「都への帰り道、何によらず手のうちに入ったものを、賜り物と思って持って帰るがよい。」とのお告げがあった。
貧乏男は長谷寺を出たところで転び、気がつくと一本のわらしべをつかんでいた。
途中、一ぴきのアブが顔のあたりでうるさく飛びまわるので、捕まえてわらしべに縛りつけた。

b.そこへ京の方から牛車に乗り家来をつれた一行がやって来た。牛車には小さな男の子とお母さんが乗っていた。子どもが貧乏男のアブを見つけ「あれがほしい。」と言い出した。
お母さんがたしなめたが、言うことを聞きません。間もなく家来が貧乏男の所へやって来て「若さまが、アブが欲しいと仰せられる。それを差し上げては下さるまいか。」と申し出た。
貧乏男が「観音様からの賜り物ですが、お子様がお望みとあれば差し上げます。」と家来に差し出した。

c.奥方は大変喜んで、お礼にミカンを三つ貧乏男にくれた。

d.今度は道の脇でお供を連れて休んでいる女の人に会った。女の人は、暑くて喉が渇いて、もう歩けないと弱っていた。「どこか水のある所はありませんか。」と貧乏男にききました。
女の人は、喉の渇きでもう気が遠くなりそうでした。これを見ていた貧乏男は、見るにみかねて、「これは京の奥様からいただいたばかりのミカンですが、ご主人がそんなに喉がお渇きでしたら差し上げます。」と家来に差し出した。女の人は大喜びしてミカンを食べました。

e.女の人は「何かお礼をしなければと思いますが、旅の途中で、何も差し上げるものがない。まあ食べて行ってくださいませ。」と弁当を出した。
貧乏男がごちそうを食べおわると、女の人は荷物の中から三反のとてもよい布を取りださせて、「ほんの志ばかりで」といって、それをくれました。

f.日暮れ近くになって、りっぱな馬に乗った武士が、何人かの家来を連れてやって来た。
貧乏男のちょうど前にきたところで、ふいにその馬がばたりと倒れた。武士は家来たちに、「わしは急ぐから先へ行く。お前たちは馬の始末をしてから追いついて来い。では、たのんだぞ。」そう言って先に行ってしまった。家来たちは「どうしよう。」と弱りきっていた。
貧乏男が「その馬は、わたしがいただいて、片づけましょうか。しかし、ただでいただいてもすみませんから、これをかわりにさしあげることにいたしましょう。」と、さっきもらった三反の布のうち一反をだして、家来たちに見せました。家来たちは、たがいに顔を見あわせ安心したように「よかろう。」と布を取り、馬を残して、主人のあとを追って行きました。

g.貧乏男は(観音さまのおなさけで、わらしべ一本が、もう二反の布と、一頭の馬になった。しかし、できるなら、この馬をもう一度生きかえらせてみたいものだ)と、手をあわせて観音さまを一心におがみました。
すると、信心が観音さまにつうじたのか、馬が目をあけた。「それっ」と声をかけると、馬はすっと立ちあがった。

h.貧乏男は馬を林のかげで休ませ、村に行って、残りの二反の布で麦やまぐさを買い、また、そまつな馬具も手に入れました。

i.京の入口まで帰ってくると、遠方への引越で大騒ぎをしている家があった。
貧乏男は(こんなときには、よく馬の入用があるものだ。もしかすると、買うかもしれぬ)と考え「馬はいかがですか。おもとめになりませんか。」と声をかけた。
主人が「ちょうど馬を一頭買い入れたいと思っていたが、旅に出る矢先で、代物に不自由する。近くにすこしばかりの田があるのだが、それを取ってはくれないか。」その田を見せてくれました。
貧乏男が馬を渡すと、主人が「我々は、今日、関東の方へ発たねばならないが、じつは、この家も留守のあいだ住む者がない。なんならひとつ住んではくれまいか。」そういうことをいいました。これは、男にはねがってもないことで、その家の者が旅だつと、さっそくそこに住むことにしました。

j.もとの家主は、今年は帰るか、来年は帰ってみえるかと、心待ちにしていましたが、いく年たっても、帰ってきません。それで、とうとうその大きな家も、自分のものとなってしまいました。そして、その後も長く子々孫々にいたるまで繁昌して、大和の長谷の観音さまのご利益を、末の世までも感謝しつづけたということであります。

■ わらしべ長者の簿記的考察

ここでaからjまでの文章を当事者ごとにギブ&テイクの仕訳をすると(物々交換取引を記録する)と次頁のT勘定になる。各T勘定の左側がテイク(目的)右がギブ(手段)である。

注目して欲しいのは右側の当事者のギブ&テイクである(物語は左側、貧乏男の立場から書かれているが、簿記的思考で大事なのは左側の当事者にとってどういうギブ&テイクであったか、ということである)。以下、aから順次解説してみたい。

[ a ]

観音様はもともと信仰の対象であり、想像の産物であるから取引としてとらえるべきかどうか、と言う議論があるのかもしれないが、貧乏男が観音様にギブしたのが「信仰」観音様が貧乏男にギブしたのが「わらしべ」である。しかし、その後の話の展開を考えると観音様がギブしたのは「チャンス」のきっかけとしてのわらしべであった、というべきである。

[ b ]

ここでは、貧乏男はギブだけ、牛車に乗ったお母さんと子供(以下「母」と略す)はテイクだけである。ギブだけした貧乏男は母に対してどういう関係にあるか、といえばテイクがない(受けていない)から「貸し」である。すなわち、簿記の仕訳でいえば「貸方」に記入される。

[ c ]

ギブされた(テイクした)母は貧乏男に対して「借り」の立場にあり、お礼をして借りを返すことになる。ここで考えてほしいのは、何故母はアブをしばりつけた「わらしべ」にミカン3個のお礼を出したか、である。

子供は長時間じっとしていることが好きではない。いくら豪華な車でも2時間も座りっぱなし、じっとしていると退屈してくる。母と遊ぼうとちょっかいを出す。母は、動き回りたい年頃の子供と一緒にいると、乗っているだけで疲れてしまって子供の遊びにつきあいきれない。

そこへアブを縛りつけたわらしべ、というおもちゃをもらった。子供はこの先の道中退屈せず一人で遊んでくれる、子供のちょっかいから解放される
「やれやれ」という思いである。ミカン3個は全く惜しくない、テイクとギブはイーブンだ(貸借平均の原理が成り立つ)と考えられる。

[ d ]

ここでもb同様、ギブだけ、テイクだけの取引が行われている。

[ e ]

貧乏男はお礼に弁当と布3反をもらっている。ミカン3個の対価としては破格のテイクである。しかし、女の人から見れば死にそうな喉の渇き、苦しさから解放されたのである。女の人から見ればミカン3個にはそれだけの価値があったということである。

[ f ]

ここで初めて交換取引が行われる。bからeまでのやり取りは貧乏男の対価を要求しないギブとそれに対するお礼であった。貧乏男は死んだ馬の後始末と布1反と引き替えに死んだ馬1頭の所有権(利用、処分権)を取得する。馬1頭、重くて貧乏男1人で運べる代物ではない。他の人に手助けを頼まなければならない。死体は物であるから解体して、皮、肉、脂などに分けて換金処分することになる(馬1頭がいくらになるのか、わからないが最近の肉用子牛の平均販売価格は黒毛和種461,500円、その他208,300円である:官報第3958号p9)。当然、解体費用もいる。手取りは布1反に自分の手間代を足したもの、と貧乏男は算盤をはじいて声をかけた、ということであろう。

[ g ]

この信心は大変ムシのいいお願いである。これに対して観音様は「奇跡」をギブしている。これにより貧乏男は死体の後始末から解放され、立派な馬を得るという「幸運」に恵まれることになる。物(死体)であれば駄馬でも駿馬でも似たようなものであるが生き返る、となると大きく変わってくる。

[ h ]

この取引は貧乏男に必要があって持ちかけた交換取引である。

[ i ]

ここでは2つの交換取引が行われる。まず、馬具をつけた立派な馬と田との交換である。おそらく家族郎党が食べていけるぐらいの収穫ができる田であったろう。しかし、そこを離れるのであればさしあたり無用の資産である。戻ってきたら買い戻してもいい、経緯からいって、そういう話もできるだろう、と主人は考えたかもしれない。そして、そこまでの貧乏男の態度や行動を見ていて「ついでに家の管理もまかせられそうな人物だぞ」と判断したのであろう(田も家も売り払って遁走するような人物ではない、と見込んだということである)、家の管理(主人たちが戻ってきた時にそのまま住める状態を維持すること)を依頼し、かわりに戻ってくるまでの間の居住権を認めている。

[ j ]

いわゆる「取得時効」の仕訳である。iで主人と貧乏男は口約束で田と馬とを交換し、家に住むことに合意している。もし、貧乏男が「もう住まないからあげると言われて住んでいる」と主張したら、口約束だから水掛け論になって収拾がつかないかもしれない(主人は貧乏男がそういう人間ではない、と信じたし、貧乏男も管理業務に専念している)。それを時の経過で割り切ってしまうのが「時効」である。

以上、わらしべ長者の物々交換をギブとテイクに分けてみることによって仕訳を理解してもらおう、という試みであったが主旨は理解いただけたであろうか。

簿記的思考というのは自分の立場(例えば貧乏男)だけでギブ&テイクを考えるのではなく、相手はどう考えているのか、どう受けとめているのか、と相手の仕訳を考えていくことが大事なのではないだろうか。
名古屋税理士界 第568号 (平成16年(2004年)12月10日)掲載

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