YTA語録

「経済を見る目はこうして磨く」(日経ビジネス人文庫:2000.11.7第1刷648円+税より

★新世紀、あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします

★21世紀最初の情報発信は、6人のエコノミストに内山敏夫テレビ東京解説委員長、小谷真生子WBSキャスターがインタビューしたテレビ東京・ワールドビジネスサテライト編「経済を見る目はこうして磨く」(日経ビジネス人文庫:2000.11.7第1刷648円+税)の中から私が付箋をつけたところ(文字を太字にしてあります)をご紹介させていただきます。メモとしてまとめるだけの時間がとれず、ほぼ原文の抜き書きノートの体裁にしかなっておりませんが、話し言葉なのでわかりやすいと思います。量が多くて読みたくなくなる、かもしれませんが太字のところだけ読み飛ばして気に入ったところだけお読みいただければ結構です。それが今のあなたにとって必要な情報なのだと思います。私にとっては、経済のおもしろさが少しわからせてくれた本でした。なお、巻末に6人のエコノミストをまとめて紹介しました。各発言末尾の「①p14」はエコノミストと発言ページです。紹介が不十分で理解しにくい箇所がございましたらお手数ですが原本にあたっていただくことをお奨めします。

★90年代の前半ごろに規制改革委員会でいろんな議論をしていたとき、「これではどうしようもない、相当大胆に規制改革を早く進めなくちゃいけない」と感じて、銀行の手数料の話、財政の規制緩和とか、あるいは運輸の規制とかについて、いろんなことを言ってきました。ところが最近、そんなに力んで「変えなきゃいけない、変えなきゃいけない」と言わなくても、マーケットメカニズムがものすごい勢いで進展しているので、黙っていても変わっていきます。いま、大事なことは、そうやってメカニズムが変わっていく流れをきちんと伝えることによつて、どのように対応しなくちゃならないのかということを指摘していくことではないか、それが私たちの役割なのかなと思います。だから、いまある古い殻を破ろうなんていう作業は、もう多分、私たちにとってはあんまり必要ないのかなと思うようになりました。むしろそうではなくて、放っておいてもいまは殻を破ろうとするものすごい力があるときに、それが変な方向に行かないようにきちっと観察するというんですか、そういうことが重要なのかなという気はしますね①p14-15。

★市場原理を生かそうという議論がある一方で、「市場万能主義はいけない」とか「セーフティネットをどうつくればいいか」とかいう話も必ず出てきます。弱者を保護する場合の「弱者」という概念が広げられ過ぎちゃっていて、それで結局、ほんとうの弱者が守られていないし、一方で本当は弱者ではない人たちが不必要に守られているというケースが往々にしてあり、国民全体でみると大いなる無駄となっています。極端に言えば、一人一人の個人はみんな弱者なんです。例えば、都会で働くから弱者、中小企業で働いているから弱者、中高年だから弱者、若者だから弱者、女性だから弱者、いろいろな弱者の肩書きがついているんですよ。それなりに少しずつ何となくメリットをもらっていて、しかしそれをトータルしてみて、じゃあ、その弱者をだれが支えているかというと、国民全体なわけですね。だから非常におかしなことが起こっているわけですね。システムががんじがらめになっちゃって、ほんとうの弱者はやっぱり守られていないというのが、日本社会の特徴だったわけです。本当の弱者は守らなきゃいけないということは、別に経済だけじゃなくて、あたり前のことですが、それをどういうふうに一番有効にやるかということであれは、それはやっぱり経済学的見方が非常に役立つということだと思いますね①p15-16。

★トラックの規制緩和に取り組んだことがあります。トラックの規制とは、要するに事故を防ぐための過積載と過労をなくすためのものなんです。その規制の意図がよくわからなくて、過労や過積載をなくすために安全点検員が必要なんですが、その人員を割くには最低7台のトラックをもっているぐらいの企業規模じゃなきゃいけないということで、それが最低車両規制の根拠になっているわけです。7台ぐらいもっていれば安全点検員も置けるだろうなんて、そんなのは実際は形式的で、機能していないんです。それでも運輸省はこれは守りたいわけです。私たちからしたらそんな規制は間接的で意味がなくて、代わりに過積載とか過労とかが発見されたらすごい厳しい罰則を与えることにしたほうがずっと効果的だと主張するわけですけど、そうすると必ず、刑法の問題になります。例えは殺人事件で懲役何年、窃盗で懲役何年というようにだいたい決められているわけですが、荷物をたくさん積んだだけで、重罪犯と同じ懲役にするのは難しい、バランスがとれないという言い方をされるんですよ。基本的には罰則をもっと有効に使うようにして問題を排除するというのは市場の原理ですからやればいいと思うんです①p17-19。

★当面はやっぱりアメリカンスタンダードで進んでいくのは間違いないと思います。だけど、長い目で見ると、二つぐらい大きなポイントがあります。一つは、アメリカ自身も変わっていきます。だから、アメリカ自体も変わっているかもしれないときに、アメリカンスタンダードばかり唱えてもしょうがないなというのが一つ。もう一つは、日本を見たときに、やっぱり変化するためには、「古いもの」があって、それを「壊すもの」がなきゃいけない。その「壊すもの」というのが、アメリカンスタンダードといわれるものだと思うんですよ。だけど、「古いもの」が壊されて、「壊したもの」つまりアメリカンスタンダードがそのまま取って代わるということではないと思うんです。壊されたところからは、「古いもの」でも「壊したもの」でもない、また別の何か新しいものが出てくると思います。日本は、アメリカの半分のGDPがあって、独自の言葉をしゃべって、それからアメリカと違う所得分配、あるいは教育的なパックグラウンドを持っている国であるわけです。「古いもの」がそのまま残るわけではありませんがアメリカンスタンダードとは少し違うようなもの、独自のものが育ってくるのかなと思います。コンビニエンスストアはよく例に出されますね。20数年前にアメリカの実物が入ってきたものが、じゃあ、日本の中でいま、どういうふうに消化されているかというと、これはやっぱり日本型のものなんですよ。あのきめ細かな商品管理とサービスは、アメリカにもないものなんですね。そういうふうにいわば書きかえてきたわけです①p19-22。

★それから最近の例でいうと、文房具の流通に、アメリカのオフィスデポとかオフィスマックスみたいなカテゴリーキラーが入ってきて、日本で文房具やオフィス機器のマーケットが席巻されるかと思ったら、むしろいま、非常に伸びているのは、それを受けて日本人がつくったアスクルのような会社です。これは非常に合理的なんです。なぜかというと、一方でインターネットとか情報システムにうまく乗りながら、他方で例えば宅配便、バイク便みたいなものを非常にうまく使いこなし、しかも町の文房具屋さんも抱き込んでいます。ITができるところは何かというと、注文を受けたものを処理して、それを物流に流すところなわけで、集金や営業といった人間にしかできない仕事もあります。それはどこにやらせるかというと文房具屋さんにやらせちゃう。文房具屋さんを全部パートナーにして、営業と集金をやるわけです。アスクルの場合、3つのルートで注文が来ます。インターネット以外に、電話やFAXでも注文が来る。注文を全部コンピューターにインプットすると、すぐに箱の大きさが決まるんです。注文を受けて、箱の大きさが決まって商品を入れて、最後のところで重さをはかるんです。これを重さ20グラムの誤差でチェックして、コンピューターで計算した商品の重さと比較するわけです。それで運送はアウトソーシングするわけで、複数の運輸会社に委託するんですけれども、これはいろいろな宅配便業者に競争させてやらせるわけです。競争だからコストも下げられる。アウトソーシングが非常にうまくいっているわけです。だから、アスクルという会社の本質は、オフィスで文具類を買うことにどういうふうに対応するかということで、一回全部機能をばらばらにした上で、もう一回再編成して、それも全部自分でやるんじゃなくて、アウトソーシングも組み合わせるというかたちにするわけです。つまり流通の中ではごく当たり前の、みんなが努力してきたことをさらに先に進めたわけですね。日本にはそういうものをつくる力があることは間違いないと思うんです①p21-24。

★もう一つ、例えば自動車の流通を考えてみましょう。いま、メーカーと車を買う人の間には、ディーラーがいていろいろな機能を果たしています。ディーラーというのは、自動車の流通の面ではコアになっています。例えば車を買いたい人も来るし、車の情報についていろいろ聞きたい人も来れば、車に試乗したい人も来る。消費者に車を渡すため工場から運んでくる物流では最前線になっている。それからメーカーから見れば、ディーラーを通じて消費者に関する情報を仕入れている。つまりディーラーがいろいろな機能の束となっているわけです。この束として集められていることを「バンドル化」というのですが、ITで、情報ネットワークができてくると、このディーラーが持っている機能の束をばらすこと、つまり「アンバンドリング」が起きる可能性があるわけです。例えば車の試乗が効率的にできるなら、レンタカーの営業所がやってもいい。車についての情報や消費者についての情報は、企業と消費者が直接やりとりして、顧客管理することまで可能になる。するとディーラーが全国各地に分散している必要などなくなってくる。まあ、全国で7、8ヵ所に物流拠点があれは、十分足りるわけです。それはよく言われる「中抜き」という意味じゃなくて、中間的な部分がいろいろなものに置きかえられていって、もうー回つくりかえられていく。そういう動きがこれから起きようとしているんじゃないかと思います①p24-25。

★日本のこれまでの問屋というのは、大体一次卸があって、二次卸があって、小売店がある。レンジが長かった。相手の小売店が全国規模のチェーンストアになってくると、個々の地域ごとの問屋は必要なくなってきて、地域卸はどんどんなくなってきた。では、メーカーと小売店の間で取引が直接簡単にいくかというと、そうではなくて、問屋はやはり重要ないろいろの情報の束をもっているわけですね。物を遅ぶ機能、商品の仕上げをする機能とか、あるいは小売店とやりとりをする機能があって、そこで問屋は残っているわけです。ただ、残った問屋も随分形態を変えてきているんだなという気はします。だから、問屋が不要、すぐなくなっちゃうという話は正しくない。それと同じように、IT革命が起これば「中抜き」が起こるというのは半分正しいんだけど、半分正しくないわけです。中を抜く部分もあるんだけど、逆にそれをコーディネートするような機能もあって、だから、そういう意味で、明快な単純な答えがあるわけじゃないんだけれども、物流やサービスがある限り中間は残るだろうと思います。企業の活動は大体3つぐらいのタイプに分けられます。1つが、営業とか、購買といった、だれかと交渉や売買をする活動。2つ目がイノベーションです。新製品開発だとか、新しいビジネスをスタートさせる活動。3つ目が、ファンクション機能です。既にある仕事を調整したり、生産の仕組みを動かしたりする活動です。そうすると、それぞれITに乗りやすいところと乗りにくいところがあるんですね。ファンクションの部分、つまり物流とか発注とかは、ITに乗りやすいわけです。でも、インターフェースのところではなかなか難しいと思います①p26-27。

★百貨店というのは基本的に不動産業なわけですね。だから、百貨店のビジネスのポイントは、そういう不動産業をやりながらも、いかに自分たちでも商品も仕入れて、そのバランスでいかにやっていくかということですね。そこが百貨店の明暗を分ける大きなポイントにもなっていると思います。百貨店の外資進出は難しいと思います。日本はたしかに世界で二番目のマーケットだから魅力あるけど、例えばタイだとかベトナムのほうが成功しやすいわけです。もともと店がないわけで、そこにドーンと持ってきて見せつければいいわけです。しかも、タイのように急速に経済成長した国では、上の所得階層、つまり人口の5分の1ぐらいはお金を持っているわけですから、成功するわけです。韓国あたりで成功するぎりぎりなんですね。日本になってくると、なかなか難しい。百貨店というのは、文化みたいなものがあるから、難しいだろうと思うんですね。それに比べるとやっぱり専門店が一番国際化しやすいんです①p30-32。

★ぜひ申し上げておいたほうがいいのは、あんまり無目的で本を読まないほうがいいということですね。何か目的を持って読んだほうがいい。私たちみたいな職業の人間が普通の方よりもひょっとしたら得をしているかなと思うのは、いい意味でも悪い意味でも本を読む目的があるんですよ。例えば自分で本を書こうと思って、そのための勉強として読むと、ただ読むよりは全然、やっぱり響き方が違うんですよね。だから読書のための読書をしようと思うよりは、問題意識を持って、ビジネスに関してとか、あるいは自分で何か特定の問題に関心を持ってそれを突き詰めるとか、やっぱりそういう自分のテーマを一本持ったほうがいい。テーマを持って、こだわりを持って、それで何かいろんなものを見てみるというのが大事だと思います①p54-56。

★私にとって一番重要な資産というのは、人的資産つまりヒューマンキャピタルなんですよ。例えば株を持って、株のリターンをいまより2%、3%上げるために、1日30分、1時間、一生懸命時間を積むということは、私にとっては非常にもったいないことなんですよね。私が証券市場の専門家だったら別かもしれないけれども、そんな時間があるのだったら本を読みたいし、あるいは人に会いたいし、疲れていたらリラックスもしたいというわけです。私だけのことではなくて、やっぱりいまの人にとって一番重要なアセット(資産)というのは、時間だと思っているんですよ。よく流通の現場の人には言うんですけど、お客さんにとって百円安く買えることと、時間を20分節約できることと、どっちのほうが大切だと思いますかと。やっぱり、20分のほうが大事なんです。だからそういう意味で見ると、特に私にとって、1時間とか2時間とかっていう時間はものすごく重要なものなんです。それで時間というものが非常に怖いのは、無駄に使い始めると、どんどん膨大な無駄になっちゃうんですよね。サラリーマンをやっていると、組織の中でも動かされる部分があるでしょうけれど、私たちみたいな仕事というのは極端に言えば自由人ですから、授業はやらなけれはいけないし、教授会に出なけれはいけないんだけど、それ以外の時間は、自分がそれをどう組み立てるかということが、全部自分にはね返ってくるんですよ。だからそうすると、やっぱり時間をどう使っていくかということが非常に問われますよね①p56-57。

★GHQのもと、日本は財閥解体、農地解放、労働組合結成、教育改革など民主化をすすめてきましたが、唯一、官僚機構には手をつけなかった。GHQも、改革の実行部隊がいないと困るということもあり、そのままにしてしまった。戦前は天皇の官僚だから、日本の官僚機構は、いわゆる主権者の一部だった。そのため、官僚機構と一般国民は「お上と下々の民」という垂直の関係にあった。一種の特権階級としての官僚機構は、日本国憲法の国民主権のもとでは位置づけを完全に変えなけれはならなかったのですが、日本国憲法という「仏」をつくって「魂」を入れなかった。これが現在まで尾を引いている。開発独裁型の経済発展には効率的だったかもしれませんが、日本は70年代前半に復興を達成してしまった。いずれにしても、官僚機構が垂直の権力構造を暗黙の前提としたままで現在まできている。あくまでも国民は「お上に決めていただく」存在でしかない。すべてを役所が企画・立案して決めて、国会議員は台本を読むだけ。「この質問を読んでください」「この答弁を答えてください」。結局、日本国憲法の国民主権に反して、官庁がすべてを決めて、国民が選んだ国会議員や内閣に振り付けをして運営している「逆立ちした民主主義」なのです。日本のリーダーはLEADER(指導者)ではなく、READER(読み上げる人)だという批判も冗談ではなくなってしまいます。官僚機構だけが意思決定機関ですから、学者と民間のシンクタンクも「お飾り」にしか過ぎず、いいように使われてしまっています。民間シンクタンクの親会社は監督官庁の配下に置かれていますから、問題発言をすれば、裏から圧力をかけられる。マスコミもある意味でニュースソースが独占されているから、ニュースの「分け前にあずかる」ためには、ある種、官僚機構に隷属していなければならない。関係がいびつになっているのです。それでは、学者は何をしているかというと、学者も純粋に研究している人もいれば、そうでない人もいますが、学者が委員となる審議会などは、役所の決める意思決定のいわば「箔付け機関」です。そこで役所の意思決定がオーソライズ(権威づけ)される。意思決定に反対意見のメンバーもわざと入れておいてガス抜きの場にするケースもあります。審議会メンバーが誰になろうと、実際には事務局で全部決まるわけですから。逆にアメリカは学界とシンクタンクと政権幹部が一体ですから層が非常に厚い。日本の場合は官僚機構がすべて独占して決めてきたので、学界はある意味で「象牙の塔」化し、御用学者と化す。民間はいつまでたっても下請けの存在でしかないのです②p64-66。

★結局、日本は民主主義国家としてまだ確立されていない側面があります。人々はあくまでお上にさからわず「見ざる・言わざる・聞かざる」。この「お上と民の精神構造」が定着したのは、私は江戸時代だと思っています。ですから、私は今の日本の体制を「1600年体制」と呼んでいるのです②p68。

★現在の年金制度は「労働組合費」と同じで、強制的な天引きです。本来「保険料」は自らの意思で払うようにすべきで、払いたくない人はやめればいい。現在の制度では1960年生まれ以降の人は、自らの保険料負担より給付金は少ない。収益率が1を下回る。インセンティブと整合性が取れた仕組みでないと年金制度は成り立たちません。そういう点から言えば、1960年生まれ以降の人は、よほどの変わり者を除いて、全員脱退してもおかしくない。現在の年金制度は壊れてもおかしくないものです。制度の崩壊を回避するには保険料でなくて税にする必要がある。税には強制力と罰則規定がある。見せかけ上自主的なものとしながら強制的に収奪していることこそが、そもそも国家権力の横暴なのです。年金制度はナショナルミニマムを確保するいわゆる定額の基礎年金を税で賄い、二階建ての二階部分は完全積み立て方式にすべきだと私は思っています。完全積み立て方式なら民営化できますから。国営でもいいかもしれませんが、とにかく完全積み立て方式にする。今の日本の年金は、ある年齢以上の人には「戦後復興に貢献したので、積み立ててないけれども年金は出しましょう」という制度です。その部分が実は財政からの持ち出しになる。それを若い人に全部負担しろというのなら、税にしないと成り立たない。そのためには国家の繁栄に貢献したお礼としての持ち出し分をいくらか決める。その分は一般財源で国債を発行するなりして、国民が全員で負担するということにすべきでしょう。はっきり理屈をつけてわかりやすい改革をしないと、必ず反逆が起きます②p68-69。

★日本とアメリカの大きな違いは、アメリカは基本的には相互不信をベースに置いている国です。「いろんな民族が一緒に暮らさなければならない」ということは、お互いに気を許し合っていない場合が多いということなのです。気を許し合っていない中で戦争を起こさずに暮らしていくには、ルールを明確にして遵守する社会にする必要がある。契約社会で非常にドライな関係です。ルールには客観性がなければならないし、ペナルティも科されます。それに対して日本は同質性が高いので、基本的には相互信頼をベースにしています。どちらが住みやすいかというと、圧倒的に日本が住みやすい。お互いの良心に任せれはよかったのですから。しかし、日本人の考えもアメリカ人のように多様化してきています。そして、ルールのない社会は抜け駆けしやすい社会でもあるのです。「いいとこ取り」する人が出てくると「正直者がばかを見る」。そろそろ日本もルール社会に移行せざるを得ない段階にきていると思います。抜け駆けを全員がやったら社会は混乱します。お目こぼしで一部の人がやるから成り立っているのです。それが目に余るようならペナルティを科さなければならない。アメリカ人は多くの場合、自分のことと他人のことを考える比率が100%対0%と思われるケースが非常に多い。例えば駐車場があって、1台分空いているところに2台の別の車が近づいてお互いを発見したとき、相手を見た瞬間に自分が入るというのが基本的なアメリカ人の行動様式です。日本だとおそらく2台がお互いに見合わせて「お先にどうぞ」と互いに譲り合ってどっちも入らない。日本人のメンタリティでは、自分のことは常に90%とか80%なのですが、他人のことを10%ぐらいは思っているゆとりというかやさしさがあります。アメリカのような契約社会になってしまうと、自分のことを常に100%思ってないと、競争社会で生きられないし、食いっぱぐれるかもしれない。だから、日本がルール社会を取り入れて、人に対する10%の思いやりを維持できたら、アメリカよりはよい社会をつくることができると思います。人間が長い歴史の中でなかなかつくり出せなかったもののうち、よいと思われるものを、アメリカがつくったのであれは評価していい。アメリカ的なよいものは積極的に取り入れていいのです。ただ、それを取り入れたために、日本的なよいものが消えてなくなるのはよくない。アメリカ的なものを取り入れつつ、日本的なよさを残す工夫が必要ではないかと思います②p71-73。

★日本の場合、戦後の75年までは官僚機構だけでやっていてもよかったのかもしれませんが、世界が複雑化し金融面での技術も進むと、官僚機構の力だけでは対応しきれなくなってきます。民間の力を取り入れていく必要があるし、意思決定の仕組みを変えなければならない。日本が意思決定メカニズムを転換して、国会議員や内閣に責任を持たせ、民間の研究機関や学界からも人材を登用するシステムを採用すれば、おのずと人は育ちます。育ってきたときには政治家も政策について真剣に考え始めます。選挙でその中身が問われるからです。役所が、間違えようが、大不況になろうが、今のままでは誰も責任をとらなくていい。日本の政治の意思決定システムを変えることです。役所が決めることがすべて裏目に出ている状態ですが、役所自身は裏目に出ていることに気づく感受性すら失っている。カフカの小説、『城』の世界に近い。城全体がどんな建物になっているか知っている人が一人もいないという状況になっていますから。官僚機構中心の仕組みが変われば、日本はまだまだ発展の余地はあると思います②p81。

★エコノミストは予測が当たったときにはあまり褒められません。「おれが儲けた」という成功者があちこちにいますから。逆に損をした場合には悪役を引き受けなけれはならない面があります。ただ、エコノミストは自分で相場を張っているわけではないので有限責任ですけどね。よく言われることですが、予測に絶対の自信があり、かつ利益を追求するのだったら、他人に言わないと思います(笑)利益機会というのは、情報の格差によって生じます。情報が全体に満遍なく行き渡った瞬間に、超過利潤を生む機会が減るからです②p86。

★大蔵省には「応接録」という文書があります。誰かと会ったら、「何月何日何時何分に誰と会って、どういう会話をした」と必ず記録に残すのです。電話で話した場合でも作ります。そして、文書を作った瞬間に関連部署に全部回される。ですから、何気なく大蔵省の人と電話で話しただけで、二時間後には関連のすべての部署に情報が共有されているのです。情報の共有という点では民間よりきわめて効率的なシステムになっていました。情報の分類や整理、日本語の書き方といったことも大蔵省で教えてもらったという感覚があります。研究所にいましたので、例えば国際シンポジウムのメモ取りをして要約を作ります。一生懸命作って出しても、いつも端から端まで真っ赤に直されて返ってきます。ただ、直された要約を読むと、たしかにはるかによくなっている。そういう積み重ねで、随分勉強させてもらいました。ここまでは「建前上の大蔵省」なのですが、大蔵省といえども結局は、人事が人の行動を規定してしまいます。ですから、結果的には組織の行動原理まで規定していく。そうなると、「省益にいかに貢献したか」「省益をいかに拡大していったか」ということが、評価基準になってしまうのです。大蔵省に入ろうとする学生には「天下国家のために」と思っている人が多いと思うのですが、そこで実際に偉くなっていく人を見ると、必ずしもそうではないということがわかってくる。すると結局、役人の行動原理としては、「国民のため」「国家のため」というよりは、大蔵省の利益のためという方向に向かう。大蔵省の収入源というのは税で、大蔵省の権益というのは予算配分権です。もう少し広げて「大蔵一家」ということで見れば、天下り先の確保も省益であったりする。そのあたりが、現実の問題として、非常に重要な行動原理となってしまう。人にもよりますが、大蔵省の役人にとってみると役所の中にも外にもヒエラルキーがありました。大蔵省が国家公務員の頂点。役所の外の金融業界にもヒエラルキーがあって、まず、興銀がトップで、続いて都市銀行、信託銀行、相互銀行と続いていく。銀行が終わって、やっと証券界が出てくるような感じでした。ですから、証券界出身の私としては、大蔵省で仕事をするのなら公務員試験を受け直そうかと思っていた時期もありました②p91-93。

★私の場合は、92年に出した『金利・為替・株価の政治経済学』で書いたモデルをその後改良して基本にすえています。一方、データをインプットしていかなければならない。といっても、経済統計とか市場の動きは、情報としてそれほど難しくなく入る時代になってきましたから、データは入ってきます。自分のモデルをもとに自分で考えるのが基本ですが、過去に何が起きて、何がどう反応したかという因果関係を読み取っていかなければなりません。現実というのは、空から降って湧いて生じるものではなく、仏教の教えに通じるのかもしれませんが、縁起という言葉が示すように、あくまで何か原因があって結果として何かが生じるということです。その因果関係をできるだけ正確に読み取っていくと、メカニズムが浮かび上がってきます。ですから、帰納的といえば帰納的かもしれないのですが、状況証拠を広く集めて、一種の行動原則を引き出していくのです。そこで仮説を立てます。仮説はある種のモデルですが、そこに新たな情報を当てはめたときに、予想ができるのです。ただ、それが間違うということもあるわけです。そうすると、モデルそのものに、今まで加味していなかった別の要素が本当はあって、それを取り入れなければならないという試行錯誤を繰り返すことになるわけですが、それを積み上げることで、ある程度、現実を説明しうる原理が浮かび上がってくるのです。『文藝春秋』2000年3月号に、FRB議長のグリーンスパンについて批判的な記事がありました。ある種のカルト的世界と接点があったと書かれていたのですが、私はむしろわが意を得たりという感想を持ちました。世の中には言葉で説明できる部分と説明できない部分があって、私は説明できない部分も非常に大きいと考えています。世の中の現象の一部は言葉で説明できるけれども、説明しえない部分がかなりあるということを大前提にしておく必要があると思っています。目に見えない力というのもあって、過去の分析はすでに起こったことの検証ですから異なりますが、将来の予測については、どうしても特別の「感性」が必要であるような気がします②p98-100。

★発展途上国はみんな米ソの強力な影響下にありました。西側に共産主義が入らないように、アメリカは多くの国で軍事政権を擁護し続けました。ソビエトも同じで、共産党政権を東側につくった。西側と東側のこれら諸国は大雑把にいえば、民主主義が十分でなく、経済運営もいいかげんだということで国民はまじめに働きません。国民は自分たちの稼ぎを搾取されるだけだからです。発展途上国が台頭してきたのは冷戦構造が崩れた90年からです。それまで発展途上国は、日本にとってみればほとんど経済的脅威ではなかった。アジアNIESの台湾、香港、シンガポール、韓国がいましたが、競争相手というには、いかんせん小さかった。一部の製品例えば電卓で負けたとか、そういう話はいくつかあったけれども、基本的なものは揺るがなかった。つまり「ひとり勝ち」の状況が、冷戦構造のあった1989年までは日本に保証されていた。それが冷戦構造の崩壊とともに崩れちゃった。アメリカが目覚め、ヨーロッパが目覚め、発展途上国がエマージングエコノミーというかたちで浮上して、本格的に日本の競争相手となった。「冷戦の呪縛」から解放されて、世界が変わったわけです③p109-110。

★90年代になって、霞が関のあらゆるぼろが出て、徹底的に批判されたけど、それまで官僚はそんなに失敗していません。高度成長時代、官僚が大きな役割を果たしました。大蔵省を中心にして、通産省が脇を固めて、日本銀行もそのメンバーのーつかもしれないけれども、やっぱり点数をつければ80点から90点じゃないでしょうか。悪いこともしたかもしれないけど、非常にうまく国民をこれだけ平等に富士山の頂上までひっぱり上げてきた。これはやはりすごいことだし、官僚たちも自分たちのやり方に自信をもつのも当然ですよね。この自信が90年代になって裏目に出ちゃったんですね。自信があり過ぎたから、自分たちが軌道修正できなくなっちゃって、結局は自滅しちゃうかたちになるんですけど。例えば、80年代後半にバブルをつくったり、90年代では根本の問題を先送りするなどの過ち。とにかく「霞が開神話」というのが呪縛となって、霞が関に頼っていれば何とがなるという過信を政も官も、そしてマスコミ、さらに多くの国民までも持ってしまった。護送船団方式というのも決して悪くないんですよ。発展途上国のようなキャッチアップ体制型経済にはすごくいい方法です。資本が不足している成長部門に集中的に資本投入をするには、国民からあまねくお金を預金として集めなければなりません。それには銀行をつぶさないことが最重要となります。今回の平成不況で根本的な対応が遅れたのは、過去の循環型不況のように、2、3年すればよくなると、裏付けのないコンセンサスがなんとなくできちゃったからじゃないでしょうか。さらに「官僚に頼っていればうまくいくんじゃないか」と思ったり、大蔵省が大本営発表のように、「もう不良債権問題は終わりました」と言えばそのままうのみにしてしまう。結局は、「右肩上がりの神話」と「霞が関の神話」がそのまま呪縛となってしまって、そこから抜けられないから、90年代はいつまでたっても先の展望が見えてこなかった③p110-113。

★この十年間、価格が上がったもの。何かありますか。普通に売っているもので値上がりしたものありますか。そんなにないんですよ。理由はいっぱいあります。まず不況だって一つの理由です。それから、円高だったでしょう。輸入品が安く買えるようになりましたね。もちろんこの二つもあるけれども、あど一つ決定的なのはやっぱり供給過剰ですね。世界的に大競争が始まっているわけです。よく40億人といいますね、ロシアとか、中国を入れると40億人の南あるいは旧社会主義国の人々がみんな動労意欲に目覚めてしまった。民主化が進んで搾取される仕組みもなくなってきたからです。フィリピンヘ行ったことはありますか。私はマルコス政権のときによく行ったのですが、あのときは経済は停滞し社会にも活力がなかった。結局、搾取する体制だと、国民は働きませんよね。まじめに稼いだって、あのイメルダ夫人の靴のコレクションになっちゃうと思えば。ところが、共産主義の脅威もなくなるとアメリカも影響力を行使する必要がなくなりますし、多くの国で民主化が起こりますね、フィリピンでもアキノ大統領や、エストラーダ大統領がでてきて、民主化が格段に進みましたよね。そろすると、働くと金をもらえるから、まだ貧しいし、働くんですね。世界中の人たちがみんな。今の日本人よりもずっと勤勉かもしれない。冷戦が終わったというのは一見、政治的な問題のようだけど、それによって世界の生産体制ががらっと変わったわけですね。しかもインターネットでどこが安いのかわかるから、世界中から安いものを選んで取引できるわけですよね。この10年、特に1989年のベルリンの壁崩壊以降の大きな世界経済の状況変化というのをきちっととらえて、日本経済の今の状況を分析しなけれはならないわけですよね③p120-123。

★これからの会社は、トップに意思決定する人がいて、その下に情報システムがあって、あとは人力を使わなきゃいけない仕事がある、といったイメージに近づいていくんじゃないでしょうか。するとホワイトカラーはますます必要なくなる。さらに単純労働であれは、移民ですぐにまかなえる。アメリカの例をみると、やっぱりホワイトカラーが二極化して、下に行く人の多くは、給料の低いヒューマンサービスや手作業に移動している。ただ、ヒューマンサービスや手作業イコール単純労働と考えるのは大きな間違い。マッサージの人だって、ここがツホだとか勉強しなきゃ、、適当に勘でやったりしたらお客さんから怒られるでしょう。身体を動かすことと知識を働かすことが一体化した職業の人を、テクノロジストと最近は言っていますね。ヒューマンサービスとか、テクノロジストとか、そういう職業の人たちはこれからも絶対に必要なんですよね。不足したので移民を入れることもたしかに考えなければなりませんが、同時に多くの日本人にとっての新しい労働の場として考える必要もあるでしょうね③p127-128。

★80年代の後半、日本的経営に負けたと思って、アメリカは本当に真剣に日本から学んだんです。コア・コンピタンス(得意分野への経営資源の集中)にしろ、リエンジニアリング(業務の根本的革新)にしろ、みんなアイデアは日本から出てきています。アメリカ人たちはそれをうまく改良して、戦略化するんですね③p129。

★日本というのは奇妙なまでの適応性がありますよね。自分が一番だと思った途端にだめになっちゃうけど、まだ遅れていると思えば、いいものを選んで身につけようとしますね。日本人はアメリカはこうだとか、フランスはこう、イタリアはどうだというように、わりと世界のことを公平に偏見なく見ることができますよね③p133。

★たしかにいまアメリカはすごい、例えばGAPにしろ、マクドナルドにしろ、コカ・コーラにしろ、世界を制覇しちゃいますよ。何しろあらゆる手段で安くていいものをそろえるわけですから。そんなのに勝てっこないと。ある種、そういったものは世界共通の商品になってきていますよね。だけど、我々は毎日、マクドナルドのハンバーガーとポテトとコーラを飲んでいて満足するかと。1週間に1回か2回、若い人だといいかもしれないけど、私ぐらいの年だったら月に1度でもどうかなと思いますね。まあ、時々はいいですよね、便利で安いし。そうすると、すき間がたくさんあるじゃないかと思うんです。日本やヨーロッパや、あるいはアジアの国にも入る余地がたくさんある。人間というのは、みんな多様な文化的背景を持って、趣味も違いますよね。アメリカンスタイルというのは、悪くいえば薄っぺら、あるいは平面的。安くて便利な物はどうしても必要だけど、それだけで我々の人生は覆い尽くされっこないですよね。そうしたら、日本の伸びるチャンスって、たくさんまだあると思うんです。アメリカが全部覆い尽くせるとは思えませんよね③p133-134。

★よく英語、英語と言うでしょう。第二公用語にしようとか言うけど、だけど、教育の仕方をちゃんとすれば、英語だけでなくて、2、3カ国語は平気で学べるんじゃないですかね。英語が世界の共通語だからって危機意識をもつよりも、何カ国語かを理解できることで多面的にものをとらえることができることのほうが、私は大事じゃないかと思うんです。例えば日本には、元号と西暦が両方使われていますよね。二つの「ものさし」があるから、見方が多様になるんです。大正世代、昭和世代とか、平成不況とか、元号で見ることによる歴史のとらえ方がある一方で、1960年代、70年代というように世相やファッションを西暦で区切ってみることもできる。両方持っている、ダブルスタンダードを持つということは、物の見方を複雑にし、より豊かにするんですね。言葉も同じで、日本語と、英語と、あと、フランス語でもアジアの言葉でも何でもいいけど、いろんな言葉でものを考え、話し合い、文化を多様に理解する力があれは、創造力とか、いろんなことに役立つんじゃないでしょうか。英語だけとにかく学べというのはとにかく考え方まで平板になるような気がします③p134-135

★日本の研究所が特定の利益集団とくっつかないとか、あるいは特定の考え方とくっつかないというのは、シンクタンクとしての機能を果たしていないからかもしれません。例えば、社会保障にしても、これは単に受益と負担の問題じゃなくて、どういうシステムにつくり変えていくのかという議論になります。市場競争をどれだけ容認するかとか、セーフティネットをどれだけ張るかとかということで、最後は価値観の問題になってくるわけですね。そこにまで、やっぱり踏み込んでいかなければいけない。そうすると、政党と無縁でもなくなってきます。いずれにしても、もっともっと踏み込んだ議論をして、実証分析の上、選択肢を示し、さらにその上でこれが望ましいという提言をするところまでいくことが、私たちの務めなんだと思います④p160。

★気をつけなければならないのは、政治、あるいは官の今のシステムというのは、既得権益で固まっているわけですから、そこにうまく使われて、理論武装であるとか、あるいは「意見も一応聞いておいたよ」というようなかたちで、取り込まれてしまわないことですね。それは結果的に、既得権益を守ることに加担してしまうわけですから。少なくとも、政党にかかわるときには、表の場で名前を出して、正々堂々と議論をした上でかかわっていきたいですね。ですから、政策立案でも、表で議論する場合には、名前を出してもいいと思うのですが、今のところはまだあまり名前は出したくないというところが多いんだと思います④p162。

★エコノミストや学者は何をしないといけないかと言えば、理論と実際をつなぐ実証分析を一生懸命していくことだと思います。例えば、公共事業の効果が落ちたと言われていますけれども、本当にどのぐらい落ちているのかとか、きちんとした分析がどれだけなされているかというと、本当にお寒い状況だと思います。公共事業費を膨らますことはその受け皿となる既得権益の側としては歓迎することですけれども、じゃあ、実際にどのぐらい効果があるのか、波及効果があるのか、そういうことについて、みんな一種のイデオロギー論争をしているようなもので、実証分析に基づいて議論されているわけではない。経企庁がちょっと前に出した数字では74年と94年とを比較して乗数効果は2.27から1.32に低下しています。乗数効果というのは、投資額を追加するとGDPがどれだけ上乗せされるか(追加された投資額の何倍GDPが増えるか)を示す数字です。大きけれは大きいほど投資の波及効果があることになります。けれども、特に95年以降は経済構造が変わっているのに、公共事業の効果がどれぐらいあるのかということについて、ほとんど実証分析されていないと思います。そういうものがないままに、議論していくことは、非常にミスリーディングです。それから、減税の効果も同じです。民間はこぞって政府に対して、所得減税、法人減税を求めてきましたけれども、それも一種のイデオロギー論争みたいなもので、減税することによって、どれだけ効果が出てくるかなどについて、実証的な説明は少ない。あるいはもっと広くとらえると、例えは行政改革だとか、社会保障改革についても、アメリカやイギリスなど、いろんなところで過去に改革をやっているわけですから、ケーススタディはいろいろあるはずです。過去の実証分析や海外の例を引いてみて、「日本もだからこうしましょう」という議論になるべきだと思うんですが、そういう議論というのは、ほとんどなされていないと思います。ですから、経済学者やエコノミストは、理論の世界で遊んでいたり、あるいはマーケットの動きに振り回されすぎないで、「日本を変えるために、自分たちに何ができるのか」ということを考えていかないと、経済学というのは、役に立たないものになってしまいます④p164-165。

★官の改革について、今、一番問題になっているのは、財政赤字ですが、一つ嫌なのは、近い将来増税しないといけないんだという風潮が出てきていることです。これが個人の将来見通しに明らかに陰を落としている。結果的には増税は不可避であるとしても、プロセスとしては、その前に歳出カットありきだと思います。歳出カットということは、官がどれだけ自助努力をするかということで、民間といっしょで、リストラが必要だということです。官のリストラといったときには、大きな支出項目でいくと、公共事業と、社会保障、行政経費の3つとなります。公共事業というのは、まず既得権益をどれだけ削っていくかということになります。それから、どれだけ効率的な公共事業ができるかについては、イギリスのPFIのように、公共事業のボリュームを減らしても、民間の力を有効に取り入れて経済効果のマイナスは最小限にとどめるやり方があるわけですから、そういう研究をしていかないといけない。公共事業の中身を効率化していけは、金額は減らせるはずです。社会保障については、高負担高受益とするのか、低負担低受益とするのか、それから、官で全部やるのか、民間にある程度任せるのかといった、選択肢の問題で、ここは国民が選ぶべきことですから、受益と負担の関係を社会契約で決め直さないといけない。これも改革です。それから、行政経費ですが、これは行政改革の問題です。例えば、高齢化社会になれば、新しい行政ニーズが出てくるのはわかっているわけで、それに備えて、今の行政の領域というのをスクラップ・アンド・ビルドしないといけないわけです。しかし、これが全然できていない。それから、あと効率性ですよね、この概念がまったく入っていない。「小さな政府か大きな政府か」という選択については議論の余地があると思うんですが、効率的な政府ということについては異論はないと思います。ですから、いかに効率的な政府をつくるかというところで、行政改革の余地はものすごく大きいと思います。今いった3つのことを官が国民に選択肢を示しながらやって、その上で今度は、増税をどうするかということについて社会契約を結び直すということが筋だと思います。結局、高齢化が進むわけですから、世代間の負担の不公平のことを考えると、どのポイントで、だれに増税するのがいいのかということについて選択しなければならないわけです。どうしても、浅く広く、あるいは高齢者に対しても能力に応じて負担を求めるというところにいかざるを得ないと思いますし、その一方では、競争原理とどう組み合わせるのかということになってきますから、セーフティネットをどう張るか、社会保障の最低限をどうするかといったことにもつながります。官が自分自身で権限の及ぶ範囲を決めるということは力の温存につながるわけですから、リストラをするにはやはり政治のリーダーシップが必要になってくると思います。だからこそ、二大政党制にもっていって、政治により責任を持たせることをしないといけないわけです④p172-174。

★サラリーマンが、今どんどんリストラに遭う時代なわけですが、その代わりといってはなんですが、ボランティア活動だとか、そういうものに生きがいを見出す人が出てきていると思います。これは、否定的、消極的にとらえられたりもしますけれども、逆じゃないのかなと思うんです。リストラにあって、その人は初めて、社会を見るというチャンスが生まれたというふうに考えるべきです。その人たちのコミュニティ活動だとか、社会活動が、むしろ社会を変えていく原動力になるのではないでしょうか。、それが発展したのが、おそらくNPO(非営利組織)とか、NGO(非政府組織)だと思うのですが、日本はそこを支援するシステムがない。あるいは風潮もない。一方で官のほうは、自分に金がないので、そういうところに押しつけて、行政の一肩代わりをさせようとか、行政のテリトリーを広げていこうとか、そんなけしからんことまで考えているわけですね④p176。

★高齢社会というのは、決して灰色の社会ではなくて、豊かな社会になりうるはずです。例えは、社会保障にしても、出し手が少なくて、受け取り手が多いというシステムじゃ維持できないというのはわかっているわけですから、「高齢者であっても、金持ちであれは応分の負担をしましょう」というような社会契約をして、高齢社会にふさわしいシステムにつくり変えさえすれば、それで、幸せなシステムができるはずなんです。それから、個人の問題にしても、例えば会社人間一本やりで高齢社会を乗り切っていくことは難しいのは、もうわかっているわけですから、社会との第二の接点を持つことが多くの人にとって普通になるわけです。社会との第二の接点を持つときに、初めてそこでほんとうに社会を見るとか、社会活動をしていく。そのことで人間が豊かになっていく。だから最初の20年は会社人間かもしれないけれども、そのあとは社会人間になるわけです。今までは30年働いたら、残り10年ぐらいを別の職場で働いたわけですが、60歳以上になっても働く社会になるわけですから、そこをどう生きていくかが重要になるわけです。 生活の面でそう締めつけられるということもなく、高齢社会にふさわしい生き方というのはあるわけです。そういう意味では、追い込まれてしまって、にっちもさっちもいかなくて、出口がなくなる前に、社会全体を新しいシステムにつくり変えさえすれば、十分やっていけるということだと思うんです。ところが、問題は、その新しいシステムをつくるための選択肢なり、その選択をするのに必要な実証分析なりが、全然示されていないということです。これからも問題をずっと先送りすることはなんとしても避けなければならない。高齢社会にふさわしいシステムに変えるためにやっぱり議論をしないといけないわけですが、その土俵ができてこない。国民にもいら立ちがあるんだと思うんですよ。自分たちの社会保障をどういうふうにつくり変えたらいいのかということについて、きちんと議論ができない。社会保障だけではなくいろいろな点で同じことが言えると思いますが。だから、それは結局、日本の民主主義が成熟していないということですね。ただ、さっき申し上げたように、個人が共同体活動、コミュニティ活動だとか、自分の周りを見るようになれば、また、政治行動、投票行動も変わってくると思うんです④p184-185。

★私は、結果平等ではなくて、競争をもっと取り入れていいと思います。それで、だれでも競争に参加でき、競争から落ちた人にはセーフティネットを張ってあげる。結果 としての格差をある程度容認していく、競争を促進していくという方向が望ましいと思います。もうこれは私の価値観かもしれないですけれども④P185-186。

★ある程度は外国人労働者を入れなければ、経済の活力は維持できないでしょう。今でも、もう既に在留外国人が150万人います。不法残留者が25万人ですか、もう入っているわけです。よく出る議論では、「非常に優秀な人、技術者だけを移民として入れろ」とか言うわけですが、私は逆じゃないかと思います。単純労働者をもっと入れてもいいんじゃないかというわけです。結果として、企業から見れば、労働コストが下がります。それが、日本の高コストを是正していくことになります。ただ、その一方で、今度は社会全体としては、外国人を受け入れることに伴うソーシャールコストが上がってくる。そこをどうコントロールしていくかですね。教育だとか、社会保障の負担であるとか、コミュニティに対する負担、こういったものをある程度クリアしつつ、外国人労働者を増やしていくという選択になるでしょう。そのときには、やっぱり優秀な人だけにきてもらうということではなくて、もうちょっと門戸を開いていくということをしないと、社会全体で見て、むしろ日本のコストを下げていくということにならないんじゃないかと思います。介護であるとか、昔よく言われた「3K」職場も、外国人労働者が入ってきたいという要望が強いのであれは、入れてもいいんじゃないか。結果的にコストは下がりますよね。出す側にしてみれは、非常に日本が魅力的に映るわけですよね。だから、ある程度はもう入れざるを得ないと思います。出すほうも、受け入れ側のほうも、ニーズが非常に高まってきている。ですから、なまじ今のようにぎゅっと絞ったものにしていると、不法就労だとか、あるいは質のよくない労働者がかえって増えてしまう危険性があるわけです。ある程度の基準をつくっておいて、一定の水準以上の労働力だけを入れるようなシステムをつくるしかないと思うんですね。外国人が増えると犯罪も増えるという人もいますけれども、それは、あまりにも間口が狭い見方なわけで、つまり非合法に入ってくる労働者は、日本国内でも非合法に働いたり活動したりせざるを得なくなりますから、そうすると、犯罪も増え、労働の質も悪くなってしまうわけです。だから、まじめで、一定の水準をクリアした労働力を入れる努力をしていけば、犯罪の問題はある程度防げるんじゃないかと思います。あとは、何年間働くことができるかとか、退出してもらう際のルールについても、何か考える必要はあると思います。ただ、それでも、かなりの規模での外国人労働力というのは必要になると思います。ただ、今すぐ必要なだけ入れるということではなくて徐々に入れていくということは大前提ですね。高齢社会も、75歳以上の後期高齢者が増えていくのは、まだ先ですから、合法的に質のいい労働者を少しずつ入れていくことがのぞましいでしょう。先進国の例を見ていると、外国人労働力や外資に対して、門戸を開いている。そのことよって、経済活力が維持できるんですね。新しい活力が入ることで、現存のシステムに刺激が与えられて、そしてよくなっていく。アメリカにしても、フランスにしても、観光客に限らず外国からの来訪客を増やすというかたちの政策をあえてとっているわけで、それは結果的に、経済の活性化にとっても非常に望ましいからじゃないかと思います④p187-189。

★例えばフィリピン人は、介護とか育児とかアミューズメントに関してものすごく優秀な民族だと言われています。ですから、フィリピンの人たちが自分たちの才能を生かして、高齢者向けの快適なコミユニティをつくり、日本の老人なり、世界の老人を集めるということだってあり得る話です。そうすると、日本の非常に質が高くて金持ちの人たちが、どんどん日本から出ていくということになりかねません。つまり、門戸を開くかどうかという話は、逆に言えば、出ていくのをどう防ぐかという話でもあるわけです。外資や外国人にとって入ってこれない、あるいは魅力がないような社会は、逆に日本の企業にとっても居心地が悪いので、優秀な企業であれはあるほど、あるいは優秀な頭脳であれはあるほど、世界に活躍の場を求めて、日本を離れていきます。日本は単なる一つの大きなマーケットというだけで、拠点を置く必要もないということになりかねないと思うんです④p190-191。

★失業率については雇用のミスマッチの問題が大きいと思います。労働省の分析でも、失業率5%弱のうち3%以上はミスマッチが原因の失業率だと言われています。ミスマッチとはどういうことかというと、例えば、IT産業には雇用のニーズが出てきているわけですが、旧来型の産業からリストラではじき出された人たちが、そこにスムーズに入っていけないということです。日本はもともと、企業内の研修とか能力開発に非常にウエートを置いた社会なので、会社がなくなってしまって個人が社会に放り出されたときに、ほとんど役に立たない。あるいは教育を受けるチャンスがない。だから、おそらくもう少し社会全体として、再教育、あるいは職業訓練の受け皿になる部門をつくっていかないといけない。私はやっぱり教育システム、特に大学の問題もあると思います。会社の中でゼネラリスト訓練を受けてきたサラリーマンが、ぽっと放り出されて、次に行けるわけがないわけです。例えは経理なら経理が長かった人たちが、今度はさらに知識を高度化させて、経理の専門家になる。そのためには再教育が必要なわけで、それをできる大学が必要です。そういった意味でベンチャリストを育てるとか、あるいは社会の再教育の受け皿になるとか、そういう意味での大学教育、大学に限らず社会教育と言いますか、そういうシステムがないと、ミスマッチは大きくなるばかりです。結局、産業構造が変わっていかざるを得ないわけで、オールドエコノミーから人が出てくるのは、もう間違いないわけですから、それを新しい分野で吸収することが必要なわけです。もし新しい分野が育たないのであれは、日本は外国人労働者だって要らないわけで、そのまま衰退の道をたどることになっていくわけです。オールドエコノミーが生き残るためにIT化して、合理化して、人はどんどん余っていく。しかし、ニューエコノミーは生まれてこないから、経済活力も戻ってこない。それで、どんどん失業率が高まっていく。そういう悲観的なシナリオもあり得るでしょう。
 逆に日本経済がこれから復活していくとすれは、新しい分野が伸びて、人手が足りないという話になって、人の移動が起こるわけです。さらに高齢社会では、介護とか看護といつたニーズが膨らんでくるわけですから、失業者がそういうところに吸収されていき、それでも足りなくなって、女性、高齢者、外国人労働者をいかに活用するかという話になると思います。そういう意味では、構造問題化する前に、ミスマッチによる失業をどうするかということが重要ですね。ミスマッチによる失業は常に出てくるわけですから、その痛みを和らげ労働移動を円滑化するシステムを作る。それと同時に、新しい産業が育っていくような規制緩和であるとか、コストの引き下げということをやっていくということが目指す方向だと思います④p191-193。

★最近「経済をやっていて面白いな」と思うのは、ユニクロみたいな例です。何であれだけ質がよくて安い物がつくれるのか、そこにお客が集まるのか。既存の経済統計からいくとユニクロの活動というのは、ほとんどとらえられていないわけです。商業統計や物価統計の中にも反映されていない。今、日本で起きている物価下落は、よい物価下落かのか、それともデフレなのかという議論がありますが、ユニクロはよい物価下落の典型だろうと思うんです。消費者の実質購買力はすごく増えているわけですから。そしてユニクロの背景には、日本とアジアの産業協力の成功があり、その一方で、日本の既存の衣料品メーカーは苦境に陥っている。まさに経済のダイナミズムがそこにあります。ユニクロのようなところがどんどん出てくることで日本の高コスト体質が是正され、消費者が実質的な購買力を高めていく。「物価が下がるのは悪いんだ」という通説、それにチャレンジしていかないといけない。それには実惑も大切です。「あれっ、何でこんなにいいものがこんな安いの?」と。そうすると、物価下落=デフレじゃないという感覚が出てくるわけですから④p194.196。

★日本の企業社会ではなぜ敗者復活が難しいか。企業内についていえば、日本の多くの企業では減点主義が問題でしょうね。ピラミッドの頂点に向けて、減点主義で競争するわけで、一度点を失ったら、取り戻せない。得点主義じゃないわけです。それから、社会全体で見たときには、やっぱり会社組織で全部縦割りになっているがゆえに、ひとたび、そのお城から出てしまうと、価値を認められない。あと、ベンチャーに関していえば、一度破産したら起業家としてやり直しがしづらいことがあります。アメリカ人は、だめだと思ったら、早く手を挙げちゃう。「ご迷惑をおかけしました、ごめんなさい、次、がんばります」といって、再起を期すわけです。投資家のほうも、「今回は失敗したね。次はうまくやってください」ということで、また、金を出すケースも多い。そのもとで起業家が失敗を成功に変えていくわけですね。そのベンチャーが大きくなって、他のベンチャーに投資をするわけです。こういうのを、エンジェルファンドといいますけれども、彼らももとは起業家だったので、起業家精神を持っているわけです。だから、金を出せるんですよね。日本はそれがないわけです。銀行にしても、ハイリスク、ハイリターン投資をやる投資ファンドをつくったりしていますけれど、気質というか、伝統がないので、なかなか先に進みません④p200-201。

★なぜIT「革命」とつけたか。革命とつけた人はやっぱり天才だと思います。18世紀から19世紀にかけて産業革命というのがあります。ワットが蒸気機関をつくって、機械設備ができて、工場設備ができて、近代的な生産が始まりました。なぜ技術進歩と呼ばないで革命と呼んだかという点が大切です。それはつまり、社会生活を根本的に変えたからなんです。例えば、産業革命は「会社」という概念も変えたわけです。我々にとっての会社というのは、今日ある会社は明日もある。そういうものですね。ところが、株式会社のはじまりである東インド会社というのは、一度航海してきたら解散したんですよ。一つの航海ごとに解散するのが会社だったんです。ところが大きな工場設備をつくってしまったら、解散なんかできません。だから、会社というのは我々が今日抱いているようなゴーイング・コンサーンという、継続企業になるわけですね。
 そうすると、工場ができたことによって、人間のライフスタイルも変わるわけですね。朝、家を出て会社に行って、夕方、会社から家に帰ってくるという当たり前のライフスタイルは産業革命によってできました。だから、必然的に家庭の中での男女の役割分担ができたわけです。いいか悪いかはともかくとして、産業革命がライフスタイルを根本的に変えた。今、そういうことが起こっているんですよね。それで、大変おもしろいことを指摘した人がいるんですね。産業革命で今日の機械文明が始まるわけですが、実はそれにさかのぼることはるか前の中世の時代に、レオナルド・ダビンチという天才が既にその絵を描いているわけですね。つまり、今の自動車、汽車みたいなものを描いているし、今の潜水艦みたいなものを絵に描いている、飛行機みたいなものを描いている。
 ところが、この天才ダビンチが見抜けなかったものが一つあるというんです。それは「動力」なんですね。ダビンチが空を飛ぶときは風に乗って飛ぶんです。海を行くときは魚に引っ張ってもらうんですよ。つまり、自然の動力しかないんです。だからダビンチの夢は夢のままだった。ところがそこに蒸気機関に始まる様々な動力が発明されて、夢が現実になるんですね。だから、産業革命というのは、技術の根底からいうと、これは『動力革命』だったんですね⑤p214-215。

★ではIT革命の技術の根底とは何か、これはデジタルの技術なんです。では、デジタルとは何かということになります。この点について慶応大学の村井純さんに聞いたら「デジタルというのは、我々が持っている情報を数字に直すということなんです。すると情報を正確に、高速で、安く送れるようになったんですよ。その技術が実はインターネットなどを支えるわけです。だから我々の場合でもDVDのようにデジタルなものがいっぱいできているわけです。情報を数字に直しているから、その数字を今度はもとの情報、つまり音声や映像に復元するにもすごく正確にきれいにできる」と教えてくれました。我々が今直面しているのは、正確にはIT革命というよりも「デジタル革命」なんです。これは便利になるだけではなくて、我々の産業とか生活を物質的に、根本的に変える可能性が出てきた。我々の生活のIT化。だから革命なんです⑤p215-216。

★これは実際に漁業関係者から聞いた話です。今まで漁業というのは、魚群探知器を使って魚をとるわけです。魚の群れが映る。ところがIT化が進むと、事情が違ってきて「魚種探知機」になるんですよ。すると泳いでいる魚の種類がわかります。下に泳いでいるのがタイかヒラメかクジラかがわかるわけです。するとどうなるでしょう。築地の魚市場に問い合わせるようになるんです。値段を聞いて、安い魚をとらないんです。高い魚をとればいいんです。さきほど世の中のコンセプトが変わると言いましたけれども、つまり、世の中から「大漁」というコンセプトが消えてなくなるんです。大漁なんかないですよね。だって、高い魚を選んでとるわけですから⑤p217-218。

★だから、デジタルを利用したIT革命の本質を、見きわめなきゃいけない。IT革命というのは、一言でいえば、経済の取引コスト、トランザクションコストを限りなくゼロに近づける革命ということなんです。これ、実は経済学者の間では、ほぼ合意ができてきたんですよね。こういう例があるんですよ。今まで本屋さんへ行ったり、電話をかけたりして、洋書を買っていたものが、いまやアマゾン・ドット・コムなどのインターネット書店で申し込んで、クレジットカード番号を打ち込んだら、あっという間に宅配便で家に届きます。これは取引コストが、ほとんどゼロに近くなります。ところが、ここからさらにアイデアを拡げて、ある日本の学生ベンチャーの人がさらに取引コストをゼロに近づけました。彼はアマゾン・ドット・コムで本を買っていました。便利だと思っていたら、使っているうちに不便だと思ったんです。自分の取引コストはまだ高いと思ったんですね。なぜかというと、宅配便で送られてきても、外出していて家にいないから、受け取れないんです。最近は、宅配ボックスがあるマンションが増えていますが、彼の住んでいる家は宅配ボックスがなかったんです。だから、土曜日の午後などに、待ってて、持ってきてもらう。でも、待つ時間というのはコストなんです。そこで彼は自分のホームコンビニをつくったらどうだろう、と考えた。コンビニは7000店舗ある。自分の行きつけのコンビニを私のホームコンビニと指定して、そこに本を届けてもらう。24時間開いてるんだから、いつでもピックアップできるし、朝、パッと寄ってもいい。実際、セブン-イレブンが始めました。インター・ネットで本を申し込んで、7000店舗の日本中のどこでも指定しておけば、そこに届くビジネスを⑤p224-225。

★実はインターネットを一番利用しているのは、アジア系なんだということに注目する人は少ない。白人が2位なんです。白人よりもアジア系の方が使っているんです。ICって、そもそもはインテグレーテッド・サーキットの略ですが、企業や人材がIT革命の担い手として注目されているわけでしょう。これは多分、教育とか、所得とかと関係していると思うんですけど、インターネット人口がこの一年間で圧倒的に増えたのは、実は日本やアジアなんですよ。1年間で2.5倍になっているんです。ただ、アジアの中で見ると日本は、インターネットの利用比率において、シンガポール、香港より低いですし韓国にも追い越された可能性がありますね。これは何を意味するかというと、日本人が怠け者になったということなんですよ。みんな重要だとわかっているけど、やってないんです。「おれには関係ないだろう」と。大企業にいけばいくほどひどい状況なんですよね。大企業の幹部はみんなこんなふうに言うわけです。「今はlT革命の時代だ。インターネットに頼らなきゃいかん。しかし、おれはいいから、みんなでやって」(笑)⑤p226-227。

★かつて、高度成長期には重要だといわれたら、みんな無節操なほどに飛びついたんですよ。この無節操さが日本の経済の原動力だったんです。ところが、今は、何かこのまま人生を逃げ切ろうとしているんですよ。そんなに急激に沈むのではなく、ゆっくり沈むのなら、このままやり過ごしたい、という感じなんです。だから、私は、団塊世代以上は「食い逃げ世代」じゃないかと思うことがあります。二つの食い逃げをやろうとしている。
 一つは財政赤字です。これについては、自分の子供たちが大変になることは目に見えているんです。少なくともちゃんとした教養のある人なら、頭の中ではわかっているんです。ところが、団塊世代以上は、日本がこれまで貯めた貯金を取り崩していって、問題が出てくるころには自分は死んでいるとわかっているんです。これは食い逃げですよね。次に、技術に関しても、逃げ切ろうとしているんですね。「我が社もいつまでもこんなことではいかん。しかし、おれがいる間はちょっと、まあ」という。日本中がそうなっているんですよね⑤P227-228。

★アメリカの政府はIT企業と一緒になって、各州にコミュニティ・テクノロジーセンターをつくったんです。中小企業がいろいろやるときの後押しをするんですね。やはりある程度最初、徹底して競争が必要ですが、最初は背中を押さなきゃいけないんですよ。ところが今、日本政府は何かやっているかというと、最初のー押しがない。かつ、NTTが分割されたといっても、競争はない。この辺からしてやっぱり遅れるわけです。あえて反語的にいえは、こんなにインターネットの利用料金が高いのに、よく20%もの人が使ったものだと言えますね。
NTTは、財界や他の通信企業とか、それからアメリカやヨーロッパからも、接続料引き下げを要求されましたけど、なかなか譲ろうとしません。それはNTTの企業としての論理からすれば、きわめてもっともだと思います。だから、これはNTTの問題ではなくて、政治の問題なんです。であるならば、NTTに何らかの特別の措置を講ずることによって、それを実現できるようにすることが大事なんです。
 競争が公正に行われるような規制緩和も必要です。「規制緩和というけど、何をやればいいんだ」という開き直りの議論が行われるんですけど、答えは簡単です。全部やってくださいということなんですね。それを、これとこれをやれはうまくいきますよって選ぼうとするから話がややこしくなる。緩和を始めてみると、次から次へと規制が出てくるというのがこの社会でしょう。結局、私は、やり方は一つだと思いますよ。デジタルオーソリティーというのをつくることだと思うんですね。これは、ポートオーソリティーというのがニューョークにあるんですが、それは何かというと、要するにこのポートの面に関しては、治外法権なんです。何でもできるんです。縦割りの行政はないんです。それと同じで、ある地域を決めて、デジタルな開発エリアに関しては、河川法も何もない。デジタルオーソリティーというのを、つくるしかないと思いますね⑤p236-238。

★明治維新のときから、日本はいくつかの歴史的転換期を経てきましたけれども、明治維新以降、今日に至るまでの日本の経済の発展の歴史というのは、世界史に残る快挙なんです。1億2千6百万人の人間がこれだけ短時間のうちに高い生活水準を実現した例などというのは、後にも先にもありません。そして、日本の発展の推移を見てくると、いま何が欠けているかがわかります。一つは、まず日本の発展の基礎は間違いなく人材だったということです。日本には物的資源がなくて、人的資源しかない。だから、一生懸命に勉強して、一生懸命働いたんです。ところが、今は、インターネットを使わなきゃいけないとわかっているのに「おれはいいよ」というようになってしまった。二つは、これまでは謙虚に外のいいものを取り入れてきた。これは遣隋使のころからの伝統ですけれども、これからもその姿勢を保たなければなりません。見方によっては日本の特にある年代の人はすごくアロガント(傲慢)です。やたらに日本は世界に冠たる先進国などと、わけのわからないことをいってみたり、アメリカの話を例に出すと、アメリカかぶれだと批判してみたりと、そういうオール・オア・ナッシングの議論は絶対すべきではありません。当たり前の話ですけれども、すべての国にはいいところと悪いところがあるわけです。だから、いいものは謙虚に入れましょうという姿勢が必要です。もう一つ重要なのは、日本の制度、社会システムというのは、ものすごく頻繁に変わっているということです。これまでの歴史では、見事に、その時代にふさわしい社会の制度をつくってきているんです。よく、「こういうやり方は日本の社会にはなじまない」とか言われますけれども、そこで議論される日本の社会の制度というのは、ものすごく新しいものが多い。例えば終身雇用、年功序列がそうですね。これは1920年代ぐらいにポッと見え始めて、定着したのは戦後ですよね。別に安土桃山時代からあったわけじゃないんですよ。日本文化とは関係ないんですね。むしろ、それ以前は、例えば日本の労働者は一つの工場に定着しないとか、そういうことがしょっちゅう議論されているんですよ、文献を見ると。株主の株式の持ち合いも明確に定まったのは1970年代ですから、せいぜい25年ぐらいの慣行なんですよ。だから、株式の持ち合いなんていったって、別に日本の長い歴史の中で25年ですから、そんなもの日本的でも何でもないです⑤p247-249。

★ほんとうに知りたいのは生涯所得の格差です。でも、生涯所得を示す統計って、どこにもないんです。そこで、ある経済学者はこう考えたわけです。いわゆるライフサイクル仮説に則って考えるわけです。例えは私がマンションを買うとき、3千万円のマンションなのか、5千万円のマンションなのか、1億円のマンションなのか、何かでちゃんと判断しているんですよ。これは何で判断しているかというと、自分の生涯所得をどこかで計算しているんです。自分が役員になれそうかとか、なれないとか、分相応なものを買っているんです。この生涯所得は見えないんだけれども、じゃあ、どのぐらいの支出をしているか。支出のばらつき、つまり支出の格差を見れは生涯所得の格差がわかるはずだとその学者は考えたんです。するとおもしろいことがわかったんですね。20代、30代ぐらいまで、消費格差ってほとんどないんですよ。ところが、ある年齢を境にしてワーッと格差がついているんですよ、日本人は。これは42歳なんですよ。大学を出て20年、高校を出て24年、そのぐらいになると、これは多分、生活実感あると思いますよ、自分の人生が見えてくる。自分は松コースなのか、竹コースなのか、梅コースなのか見えてくるんです(笑)。つまり、ファーストクラスなのか、ビジネスクラスなのか、エコノミー、ディスカウントなのか。このファーストクラスに乗れる人が、我々が考えていた以上に世の中にたくさん出てきているということですね。日本郵船の豪華客船「飛鳥」のクルーズは2年半先まで満員なんですよ。すごいことですよね。北海道行きの寝台特急「カシオペア」のカシオペアスイートというのに乗って、北海道のいいところばっかり回って、十日間で一人88万円のパックがあります。2人で行くと170万でしよう。これがすぐに売り切れるんです⑤p252-253。

★大手の主要企業の商品開発担当者の平均年齢を調べてみたら34歳だったそうです。商品開発も年功序列の中でやっていきますから、現場で仕事をするのは、それくらいの人たちなんですよ。それから上の年齢になると管理職になって商品開発の現場からだんだん離れていくんですね。そして、34歳の開発担当者に、20代の前半の女性と後半の女性の好みの違いについて話してもらうと、2時間ぐらい話せるらしいんです。そのくらいよくわかっているんです。ところが34歳の人から見ると、40以上はみんな同じなんです。みんな年寄り(笑)。シニアマーケットと、口で言われているんだけれども、現実にはほとんど相手にされていないですよ。だから、使い道がなくて10日間で88万円のツアーにも出かけちゃうわけですね。ほかに使うものがないですから。⑤p254-255

★大学を卒業して、一度日産に勤めた後、学問の道に入りました。アメリカの大学院に願書を出したら、何とハーバード大学が入学を許可してきた。一番びっくりしたのは、周りよりも自分です。それまでは、まともに経済学を勉強していなかったのに加えて、アメリカの大学院の教育というのは無茶苦茶スピードが速い。毎日論文で100ページぐらい読みこんでいかないと、ついていけないようなペースで授業が進んでいきます。日本語だって100ぺージを毎日読んでいくのは大変ですが、ましてや英語です。でも、やったらできるんです。人間っておもしろいなと思うのは、どうしてもやらなきゃいけないところに追いつめられると、普段の能力の5倍は出ます。日本にいるときは、サミュエルソンの『経済学』を、原文ではどうー生懸命読んでも1日10ページしか読めなかった。でも100ぺージ読まないと、やっていけないとアメリカで実感した途端に読めるようになった。不思議なものです。初めのうちは、難しい論文を何回読んでもわがらないのですが、「どうしてもわからざるを得ない」という状況なわけです。わからないと奨学金がもらえなくなりますから(笑)。成績が落ちると奨学金がすぐに打ち切られてしまう世界です。絶対に成績は落とせないという至上命令もありましたし、家族もいたから、とにかく奨学金をもらえなければ終わりでした。英語の斜め読みというのは、日本にいるときは考えもつかなかったのですが、実際、斜め読みをしないと、そんなにたくさん論文を読めません。斜め読みをしていって大事なところで立ち止まって、そこを何回も読み直すという読み方は、別に意識しなくても自然にできてしまうものです。そうすると、かなり難しい論文でも何とかわかるようになります。2年、3年やっているうちに、どんな難しい論文でも頭をフル回転して一生懸命に読めば全部理解できると思えるようになりました。「たかが人が書いたものじゃないか」という変な自信がつきました。でも私にとってこれはすごい財産です。そうやって経済学べったりの状況で勉強を続けていったら、自然とだんだん深みに入っていきました。2年ぐらいやったら、「ああ、これはすごい世界観を持った学問だな」と初めて経済学をおもしろいと思えるようになったのです。私が若い人にいつもいうのは、「自分がこの程度しかできない」と思っているかもしれないけど、絶対にそんなことはないということです。清水の舞台から飛びおりて、ほんとうにやらなきゃいけない状況に自分を追い込んだら、普段の5倍か6倍の力はすぐ出るから信じなさいと、とにかくそそのかしているんです。見方を変えると、ほんとうに何かにぶつかって挑戦していない人というのは、半分自信がないのですが、半分非常に自信があるんです。つまり、自分を十分試していないから「自分はひょっとしたら、ハイのときはすごいできるんじゃないか、周りのやつはみんなばかだな」と、自分の力をわかっていないから、そう思ってしまいます。私もサラリーマンをやっているときは、まさにそういう状態でした。「会社にはできの悪い人ばかりいるな」という思いが強くて、今から思うと私は鼻もちならない傲慢な人間だったと思います。しかし、ハーバード大学に行った途端に、先生の半分ぐらいはノーベル賞をもらうような人たちばかりでしたし、1学年32人でしたが、生徒も半分が留学生でみんな頭がいい。これは自分も相当がんばらないと、やっていけないということを生まれて初めで思ったのです。今にして思えは、まだ20代のうちに、ほんとうに挑戦して、ぶつかって、砕けそうになって頑張ったという、その経験のほうが、経済学を身につけたことよりもすごくよかったと思っています⑥p266-269。

★何かものを考えて意見をいうときも、体系だった世の中の見方というものが経済学にはあります。常にその引き出しを使えるから、ある程度一貫したことが言えるわけです。それがなければ、それぞれのトピックについて少し気のきいたことぐらいは言えるかもしれないけど、半年ぐらいたったら、まったく違う観点からものを言っていて、「一体あの人は何を考えているんだろう」ということになりかねません。「常に一歩下がって全体を見てごらん。そうしたら世の中が見えてくるから」という教え方を、私は大学ではしているのですが、残念ながら、日本全体として見ると、そういうものの見方ができる人はまだまだきわめて少ない。
 日本の意思決定のメカニズムは「ヘッドレスチキン(頭のないニワトリ)」状態だと言っているのです。本来ならヘッドが正しいと思うことを部下に指示して、組織として貫徹するのがリーダーシップだと思います。しかし、ヘッドが考えつくところまではいいのですが、それが現場の抵抗でつぶれてしまう。いかにも日本的風景です。日本の組織は手足が非常に元気です。だからある意味では強いのですが、「ヘッドレス」が有効に働くのは、行くべき方向が決まっていてキャッチアップしているときです。しかし、明確な戦略を組むことができないと、どこに行ってしまうかわからない変化の激しい時代には「ヘッドレスチキン」では困るのです。日本の企業が「なぜこんなに低収益なのか」ということを考えても、やはり、日本の会社が「ヘッドレスチキン」だからなんです。「戦略というのは、何をしないか決めることである」のに、日本の政治家は、「あれもします、これもします」とはいっても、「これは絶対私たちはしません」と明確にする人はほとんどいません。これはつまり、戦略がないということになります。日本の経営者も口先では、「リストラをやって、選択と集中をやって、コア・コンピタンスをつくって……」といいますが、実行段階になると現場の抵抗が強くてほとんど実行できない。戦略を持って収益率なども世界にひけをとらない日本企業は、いろいろ考えてみると、創業者のスピリットがまだ生きていて、求心力があり、「ヘッドレスチキン」状態がある程度回避されているようなところが多いですね。それに比べて、サラリーマン化した伝統的な企業、特に旧財閥系の大企業の多くは、明確な戦略を打ち出しても、実行段階になるときわめて弱い。いつまでたっても資源がむだ遣いされて収益率が上がらないままです。そうすると、グローバルな競争の中では強い企業に吸収されていきます。時価総額が上がらないならM&A(合併・買取)の格好の対象になってしまいます。極端にいうと、だれかが買うといったら、簡単に買える会社は日本にはいっぱいあります⑥p272-273.275.278-279。

★日本には、上に立つ人が一生懸命頑張って血を流して苦労しても、それに対する評価がありません。例えば、欧米の大企業の役員の報酬体系は大体、3分の1ずつに分かれています。3分の1が固定給、3分の1が今期の利益や、ROE(株主資本利益率)、EVA(経済付加価値)などに対応して決まり、あとの3分の1が株価、つまりストックオプションでこれは長期利益と連動しています。つまり、固定給と短期利益と長期利益に、それぞれ3分の1ずつ割り振られています。事なかれ主義でやっている日本の経営者は固定給しかもらえませんが、アメリカなら固定給しかもらえないトップは、すぐに無能の烙印を押されて解任されてしまいます。だから、経営者は徹底的にリストラでも何でもやって、短期利益も長期利益も上げるようなメッセージを株主や市場に流さなければならない。これは、すごいプレッシャーです。アメリカ人が冷酷で、日本人の経営者が温厚だからリストラのスピードに違いがでると言われることがありますが、本当の理由はインセンティブの有無なのだと思います。日本はほとんど固定給ですから、一生懸命やってもやらなくてもまったく同じだということになる。だからリストラで人件費を下げようとすれば、社内の評判が下がるので、「自分の報酬も半分にするから頑張ってください」ということになりかねない。つまり、リストラをやれば、自分の所得も人徳も減っていって、みんなの評判も悪くなる。これではリストラなどできるわけがありません。こういうインセンティブシステムの中では、日本の経営者は口先では、「IT革命だ」「変わらなけれはいけない」などと進歩的なことを言いますが、実際はできるわけがない。インセンティブシステムというプログラムがないことが非常に大きいわけです。日本の大企業が最近IR活動で海外の投資家を回ってアナリストに説明するとき、よく出る質問は、「あなたの報酬システムは固定給ですが、一体あなたにとってインセンティブは何ですか、何のために仕事をしているんですか、それで本気にやる気になるんですか」というものです。旧来型の日本の経営者がこの質問に答えられるわけがありません。「30年来、会社にはお世話になっていますから」「交際費のようなベネフィットがありますから」といった、ほとんど説明にもならない説明しかできないでしょう。そうなると、海外のアナリストや投資家は、「日本の会社ってわからない。経営者はよほど能力ないんだろうな」という判定を下します。能力があったら、固定給など拒否するはずと言うのが、彼らの普通の感覚です⑥p282-284。

★デジタル革命には3つの段階があって、初めは、まさに新生物が出てくる。つまりベンチャー企業です。この人たちが日本の経済社会にまったく地盤のない中で、あちこちで花火をあげます。しかし、しょせんは花火ですから、そんなに強い力にはなれません。次の段階では、花火をあげているうちに、恐竜たちが頭をもたげて、我々もそろそろやらなければと思い始める。日本は今そういう会社がどんどん出てきた状態だと思います。もう少し経って第三段階に入ると、花火をあげてある程度成功した会社と伝統的な企業が融合するといったことも出てくるでしょう。そうなると革命は加速します。新生物の先端的な考え方とスピードが、しっかりとした顧客基盤を持った従来型の大企業と何らかの形で提携、融合、合併する。リアルとサイバーの融合になります。そこまで至ってIT革命は本格的な段階を迎えます⑥p288-289。

★ビジネスというのは売り手と買い手をつなぐ仕事ですが、今までは中間に問屋、小売店、代理店と、いろんな中間業者がいて売り手と買い手をつないでいた。ところが、インターネットを使うと、場合によっては売り手と買い手が直結してしまいます。インターネットに「こういうものをだれか売ってくれませんか」といって、「私が売ります」という人が出てくれば、もう真ん中は要りません。それで従来の中間が不要になってくると、莫大な人的資源が浮いてきます。この人たちがもっと別のところでクリエイティブな仕事をすれば、GDPはドーンと倍になることだってあります。基本的には、これがIT革命です。今まではとにかく見込みで「こういう製品をつくったら売れるんじゃないか」「消費者がどこにいるかはっきりわからないけど、トレンドから見ると売れるだろうな」と思って製品をつくって売っていました。売れればいいのですが、売れなければものすごい赤字になる。その商品もむだになってしまいます。つまり、情報がないために巨大なむだが生まれていました。そのむだがどんどん縮小されていくプロセスがIT革命であるとも言えます。だから、そういった顧客の情報を情報システムを使って蓄積して、ワン・ツー・ワンでお客さんに製品を届ける時代になっていきます。素材産業は、なればなるほど対応は難しいです。というのは、彼らがそもそも巨大な「恐竜」になったのも「規模の経済」を追求したからであるわけですから、どれだけロットでつくれるかでコストを下げられるかが決まるという制約があります。ただ、これからは規模によって下げられるコストを、どの辺で妥協するかが問われてくると思います。
これから資本市場がグローバル化してくることによって、おそらく多くの産業が再編成に向かいます。つまり、一方の株は上がって一方の株は下がると、高いほうが安いほうを吸取してしまったほうが、ずっと楽になるわけです。いろいろな業界でそういう地球規模の再編成というのが起こりつつあります。鉄は国策産業だから、そう簡単に国境を超えた合併や合従連衡というのは難しいですが、グローバルなマーケットを持っている、銀行、自動車、化学業界などでは、もう既にかなり大きな合従連衡が起こり始めています。そのときに、公正取引委員会がどういう判断をするかが重要になってきます。公取は今まで25%ルールでやってきました。国内のシェアが25%を超える合併は許さなかったのですが、もっとグローバルに柔軟に考える必要が出てきます。グローバルな状況の中で、日本で25%のシェアをとっても、国際的には非常に弱いかもしれません。そういう発想の転換も必要です⑥p290-293。

★人間が何か物を集めるのは、それを持っているだけで喜んでいるわけではなくて、多くの場合、それらの物を組み合わせてよりよいライフスタイルを追求するためです。今までは、情報コストが高かったから、企業側も一人ひとりのライフスタイルなど考えませんでした。でも、一人ひとりのライフスタイルをちゃんと聞いても割が合うだけ情報コストが下がってくると、個人化されたきめ細かいサービスが可能になります。IT革命の碁本は個別化されたサービスの提供ですが、そこに付加価値が生まれてビジネスに変化をもたらすと思います⑥p295。

★IT時代のセーフティネットは、いろいろ試行錯誤をして進めていく中で解決策を学んでいく以外に方法はないでしょう。18世紀に産業革命が起こって工場生産制に移行したときには、労働条件が劣悪化して、1日15時間労働とか18時間労働を、しかも少年がやらされていました。それで、社会問題が起こって社会保障制度や少年法、労働基準法など、法律を含めいろいろな体制が整備されてセーフティネットができました。もちろん過渡期には混乱が起こりました。例えば「機械さえ壊せば世の中ハッピーになる」というラッダイト(機械打ち壊し)運動。これは、今なら「IT革命さえつぶせば世の中失業者がいなくなる」というのと同じ発想です。ただ、こんなことを許していたら、資本主義社会の飛躍的発展はなかったわけです。IT革命も同じです。産業構造が「中抜き」になってはじき出され、雇用のミスマッチで仕事がなかなか見つからず困ったという人はどんどん出てくると思います。そういう人たちにどういう手を打ったらいいのか、教育訓練なども含めて、いろいろ試行錯誤でやらざるを得ないのです。IT革命そのものにブレーキをかけたら問題が解決するわけではないのですから、出てくる問題に一生懸命対応していく政策対応が必要だと思います⑥p298-299。

★日本社会におけるエリートコースの定義も非常に変わってきたのではないでしょうか。これまでは「お受験」をして、いい大学に入って、一流大企業か一流官庁に勤めるのが、お決まりのエリートコースだったわけで、みんな偏差値で輪切りにされてきたわけです。今までだったら、東大法学部を出なければ偉くなれないということで、一元的に偏差値で差別されていましたが、これからはいろんなアイデアで多面的に競争できますから、個人的にはおもしろくなってきたのではないでしょうか。一人ひとりの長所を生かすようなシステムになってくると思います。日本人も、グローバルな環境の変化の中で、感受性のある人は敏感に反応し始めたと思います。サラリーマンも、今までは、一流大企業に入れば、出世の遅い早いはあっても、安定した生活が最後まで保障されるというモデルで来ましたが、この数年でそれが崩れてきています。だから、学生は「そんなところへ行ったって何の夢もないし、安定性もない。それだったら、もっとおもしろい生き方がないかな」とみんな思い始めているわけです。ただ、既に昔の路線で走ってきて40歳ぐらいになった人は、その路線からは抜け出せません。悪い言葉ですが、とにかく組織にすがりついて何とか定年まで行けないかと思っています。組織への過剰な依存症なのです。これまでの日本のエリートコースの中で、安心して走ってきた人たちですから、40歳や45歳になると「今さら新しいことできない」となってしまっています。でも、会社の中では評価されていても、いったんマーケットに出たら、全然評価してくれないということになっているから、しがみついているとも言えるのです。自分の生き方を真剣に自分自身で模索する人が増えてきました。いったん入った組織に依存するのではなく、自分の力しか信用できないという発想にだんだんなってきています。いいか悪いかは価値観の問題ですが、少なくとも競争に勝ち抜くには変わらざるを得ないという状態になってきています⑥p301-304。

★①伊藤元重(いとう・もとしげ) 東京大学経済学部教授
 1951年生まれ。74年、束京大学経済学部卒業。78年、ロチェスター大学大学院経済研究科博士課程修了。79年、同大学Ph・D取得。専門は国際経済、通商問題、流通など
主な著作
 『ゼミナール国際経済入門』『百貨店の未来』(いずれも、日本経済新聞社)、『市場主義』(日経ビジネス 人文庫)、『挑戦する流通』(講談社)など
好きな経済学者
 ジョン・M・ケインズ、フリードリヒ・フォン・ハイエク、ホール・クルーグマン
推薦する本
 トーマス・フリードマン『レクサスとオリーブの木』(上・下)(草思社)
 軽部謙介・西野智彦『経済失政』(岩波書店)

②植草一秀(うえくさ・かずひで) 野村総合研究所上席エコノミスト
 1960年生まれ。東京大学経済学部卒業。野村総合研究所経済調査部、大蔵省財政金融研究所研究官、京都 大学経済研究所助教授、スタンフォード大学フーバー研究所客員フェローなどを経て現職
主な著作
 『金利・為替・株価の政治経済学』(岩波書店)、『日本の総決算』(講談社)など
好きな経済学者
 ジョン・M・ケインズ、ミルトン・フリードマン
推薦する本
 ミルトン・フリードマン『選択の自由』(日本経済新聞社)
 ジョン・K・ガルブレイス「バブルの物語』(ダイヤモンド社)
推薦する雑誌
 『フォーリン・アフェアーズ』

③斎藤精一郎(さいとう・せいいちろう) 立教大学社会学部教授
 1940年生まれ。東京大学経済学部卒業。日本銀行勤務などを経て現職
主な著作
 『マネー・ウォーズ』(PHP研究所)、『経済学は現代を救えるか』(文藝春秋)、『ゼミナール現代金融 入門』『10年デフレ』(いずれも日本経済新聞社)など
好きな経済学者
 アダム・スミス、ヨゼフ・シユンペーター、カール・ポランニー
推薦する本
 アダム・スミス『諸国民の富(国富論)』(岩波文庫)
推薦する雑誌
 『ロンドン・エコノミスト』、『フォーチユン』、『週刊ダイヤモンド』、『週刊エコノミスト』など

④高橋 進(たかはし・すすむ) 日本総合研究所調査部長
 1976年、一橋大学経済学部卒業後、住友銀行入行。ほぼ一貫して経済調査畑を歩む。調査部ロンドン駐在 中は、欧州経済・金融情勢を調査。86年にはイギリスのビッグバンに遭遇。90年、日本総研着任後は、ア ジア経済、日本経済・金融の調査を担当し、現在に至る。2000年より早稲田大学大学院アジア太平洋研究 科客員教授(非常勤)
主な著作
 「英国金融機関における証券化の濁流」(住友銀行月報所収)、『クリントノミクスと日米緊張関係を読む』 (共著、講談社)、Financing Capital Market Intermediaries in East and Southeast Asia(共著、Kluwer   Law International)など
好きな経済学者
 ヨゼフ・シュンペーター
推薦する本
 小倉昌男『小倉昌男経営学』 (日経BP社)
 井堀利宏『財政赤字の正しい考え方] (東洋経済新報社)

⑤竹中平蔵(たけなか・へいぞう) 慶應義塾大学総合政策学部教授
 1951年生まれ。一橋大学経済学部卒業。日本開発銀行、大阪大学経済学部助教授、ハーバード大学客員准 教授などを経て現職
主な著作
 『日米摩擦の経済学』『経済ってそういうことだったのか会議』(いずれも日本経済新聞社)、
 『ITパワー』(共著)『ソフトパワー経済』(いずれもPHP研究所)など
好きな経済学者
 ヨゼフ・シュンペーター
推薦する本
 S・ランズバーグ『フェアプレイの経済学』(ダイヤモンド社)
推薦する雑誌
 『ビジネス・ウィーク』
 『経済セミナー』

⑥中谷 巌(なかたに・いわお) 三和総合研究所理事長・多摩大学経営情報学部教授
 l942年生まれ。一橋大学経済学部卒業。ハーバード大学Ph・D(経済学)。
 大阪大学経済学部教授、一橋大学商学部教授などを経て現職。ソニーの社外取締役も務める
主な著作
 『日本経済「混沌」からの出発』(日本経済新聞社)、『入門マクロ経済学』(日本評論社)、
 『ITパワー』(共著)(PHP研究所)、『痛快!経済学』(集英社インターナショナル)、
 『eエコノミーの衝撃』(束洋経済新報社)など。
好きな経済学者
 ケネス・アロー
推薦する本
 ハイゼンベルク『部分と全体』(みすず書房)