20世紀を生き抜くための「心」・「技」・「体」その39

はじめに「技」小倉昌男著「小倉昌男 経営学」(1999.10.4初版:日経BP社 1400円+税)より

「はじめに」

★ 先月23日、国の吉野川可動堰の建設計画に対して堰建設予定地の徳島市民による住民投票が実施され、自然環境への悪影響や税金の無駄遣いなどを理由とする建設反対票が102,759票(有権者数207,284人)ありました。住民投票には国の計画推進を中止する拘束力がありませんが、吉野川流域2市6町の住民のうち最下流にある徳島市民の半数近くが住民投票へ出かけて反対の意思表示をしています。中山正暉建設大臣は24日の記者会見で「投票結果は神様の(示した)数字。今後住民の声をよく聞き、可動堰に固執せず、住民の納得できる方法があれば考えたい」と言いながら、住民投票で民意を問うことには「民主主義の原理のはき違え、誤作動」「後世に災害が起きて被害が出た時『当時の大臣はだれだった』と批判されたら棺おけの中でゆっくり眠れない」と述べるなど、堰建設推進の姿勢は崩していません(平成12年1月24日中日新聞朝刊、同26日夕刊)。住民投票結果をそのまま認めると国や地方自治体が進める政策が住民投票に左右されることになり、議会制民主主義が形骸化してしまう、というのが「民主主義原理誤作動」発言の理由のようですが、住民が一票を投じ国会議員を選出することと今回の住民投票とどこがどう違うのでしょうか。中山大臣は建設反対派代表とのテレビ対談で「事故が起きたときにあなたはどう責任をとるつもりですか」と詰め寄っていました。じゃあ原子力施設で事故が起きたら政治家や行政当局は責任をとる覚悟をもっているのか、そっちの方がずっと事故が起きる確率が高いんじゃないのか、と思ってしまいました。私はこの問題のカギは大蔵省が握っていると考えます。役所は一度ついた予算(既得権)を手放すことができません。建設省が推進の姿勢を崩さないのは大蔵省が予算の後押しをしているからで、もしカットされたらあっさり中断してしまうのではないでしょうか。建設推進派住民も100%国の予算だから支持しているのであって、工事費の受益者負担を求められたら反対する人も出てくるような気がします。建設省は水害の危険性の土俵で議論をしようとしていますが、反対派は建設省など相手にせず、大蔵省に税金のムダ遣いはするな、可動堰建設を前提とする予算はカットせよ、と詰め寄るべきです。建設反対の住民投票は大蔵省の予算のカット又は見直しの大義名分として使われてこそ有効で、建設省では面子にこだわられてしまって効果がありません。一度決めたことは、決めた本人よりそれを引き継いだ人の方がかえって変えにくいもののようです。こうしてみると青島幸男前都知事は都市博中止以外何の成果も上げませんでしたが大変な業績を残したのかもしれません。

「技」小倉昌男著「小倉昌男 経営学」(1999.10.4初版:日経BP社1400円+税)より

★a.著者の小倉昌男氏は大和運輸(現ヤマト運輸:以下ヤマト運輸で統一する)の二代目であり、宅急便事業の創業者である。本書は生涯に最初にして最後、一回限りの著作(p3)として書かれたものでトップポイント(別紙)でも紹介されている。全15章、これを宅急便前史、宅急便の経営学、私の経営哲学の3部構成とし、それぞれのはじめに1ページの要約がついている。

★b.《安全第一、能率第二》 昭和30(1955)年、小倉氏は銀行からの依頼で経営をみていた静岡運輸へ総務部長として出向した。同社では労災事故が頻発しており、労働基準監督署から模範的な木工工場を見学するよう指導があった。訪問してみると安全のために特別な設備投資をしている様子はない。違っていたのは壁いっぱいに大きな字で「安全第一、能率第二」と書いた紙が貼ってあったことであったことである。そして、こう解説してくれた。安全は要するに経営者の心構えによるところが大きい。安全も能率も、どちらもしっかりやれといってた時分は、結局どちらも中途半端で労災事故も多かった。でも人命の尊さを考えるとなんとしても事故を減らさないといけない。それで考えたのは能率を上げることだけを言ってい るうちは事故はなくならないだろうということだった。その気持ちを表すために「安全第一、能率第二」という標語を工場内に掲げた。時間が経つにつれて安全の実績は徐々に上がったが能率は決して落ちなかったという。

★c.《安全第一、営業第二》 会社へ帰った小倉氏は労働災害の原因の一つとなっている過重労働を避けるよう「安全第一、営業第二」というポスターを作り会社のいろいろな壁に貼らせた。つまり、いくら営業からの要請があっても長時間残業や深夜労働を重ねるような仕事は断りなさい、という方針を明確にしたのである。それまでは多少ムリをしても会社の売り上げは増えるし、運転手も手当が増えるからと過重労働を容認、恒常化していた。本当の第一は安全であることを強調することにより、労災事故は少しずつ減っていった。にもかかわらず営業の方はむしろ活発になっていった。

★d.どこの工場でも「安全第一」の標語が掲げられている。しかしこの言葉はマンネリの代名詞になってしまい、どれだけ実効を挙げているか疑問である。というのは第二がないからである。売り上げ目標を達成せよ、利益を確保せよ、安全第一だ、品質第一で頑張れと何でも“第一”の命令が好きな社長は多い。だが“第二”がなく“第一”ばかりというのは、本当の第一がない、ということである。社長の役目は、会社の現状を正しく分析し、何が第一で何が第二か、重点を明らかにし、それを論理的に説明すること、つまり「戦略的思考」をすることに尽きる(p142-146)。

★e.《サービスが先、利益は後》 宅急便を開始したとき、小倉氏は業務会議の冒頭で「これからは収支は議題とはしないで、サービスレベルだけを問題にする」と述べ「サービスが先、利益は後」の標語を全員に示した。当分、赤字は間違いないので収支を議題にしても仕方がなかったからである。その代わりにサービスレベルを議題にした。宅急便が赤字を脱却するためには荷物の密度が濃くならなければならない。そして密度を濃くするにはサービスの差別化だけが考えられる手法だったからである。サービスとコストはトレードオフ(二律背反)の関係にある。サービスを良くしようと思えばコストは上がる、コストを抑えようとすればサービスはほどほどにしなければならない。これは経営をしていると常にぶつかる問題である。宅急便を始めた以上、できるだけ早く荷物の密度を濃くして採算ベースにのせることは至上命令である。これはサービスとコストを比較検討して選択するという問題ではない。採算に乗せるにはどちらを優先させるか、という判断の問題である。「コストが上がるからやめる」という問題ではない(p132-134)。

★f.「サービスが先、利益が後」という言葉は、利益はいらないと言っているのではない。先に利益のことを考えるのをやめ、まず良いサービスを提供することに懸命の努力をすれば、結果として利益は必ずついてくる。利益のことばかり考えているとサービスはほどほどでよいと思うようになり、サービスの差別化などできない。となると、収入が増えず、いつまでたっても利益が出てこない。そんな悪循環を招くだけである。この「サービスが先」の考え方から《車が先、荷物は後》《社員が先、荷物は後》という標語も生まれた。車と社員の増加(充実)が先、荷物(売上)の増加はその後、ということである。すなわち、運送業は労働集約産業であるから、人員とその人が運転するトラックを増やせば、サービスは改善され荷主の要請に応えられる。そこで荷物の増加を予想した上で車と社員の先行投資をしたのである。その結果昭和55(1980)年には売上高699億円、経常利益39億円、経常利益率5.6%を計上し創業5年で採算点をクリアしたのである。ちなみに社員数の伸びと取扱個数の伸びは次の通りである(p137-142、p152)。

昭和51(1976)年
(宅急便開始)
昭和56(1981)年 昭和61(1986)年
社員数 5,650名(1.0倍) 9,270名( 1.6倍) 23,600名(4.1倍)
取扱個数 1,705千個(1.0倍) 50,615千個(29.6倍) 203,986千個(140.2倍)

★g.ヤマト運輸のクロネコ・マークはアメリカのアイライド・ヴァン・ラインズ社がシンボルマークに使っていた三毛猫がヒントとなっている。創業者の小倉康臣社長が「母猫が子猫を運ぶように荷物をやさしく確実に運びます」というマークのメッセージに共感、同社から使用許可を得て図案化したものであった。このクロネコ・マークが宅急便の認知度を高めたことから、同業他社が赤イヌ、子グマ、ライオン、ゾウ、キリンなどいろいろな動物のマークを作って宅配事業に参入してきた。しかし、今はそのほとんどが撤退している。人が成功したらすぐ真似をするのは日本人の通弊である。これまで誰も手を出さなかった宅配事業で成功したと聞いたら、その理由を調べるのが普通である。それを自分の頭で考えないで他人の真似をする人は経営者には向かない。経営者にとって一番必要な条件は論理的に考える力を持っていることである。論理的に考える人は、その結論を導き出した経緯について、筋道立てて説明することができる。また、説明をしているうちに考え方が論理的に整理されることもある。(p152-154、p272-273)。

最近社長になった人からこういう言葉を聞きました。「俺が責任をとるからこうしろ、と言えばいいんだ」自分で責任をとるんだったら自分に納得のいくようにしておかないと後で後悔します。自分に納得のいくようにしておく、には小倉氏の言う論理的に考えておいた方がよいということになります人に言われてとか人のまねをしてというときは責任感が希薄になりますが、決めるのは本人、自己責任です。どうしてそう考えたのか、その思考過程をたどり納得しておく必要があります。

★h.宅急便を始めるにあたり小倉氏は「運転手」の呼称を「セールスドライバー(略称SD)」に変更し、組織図の書き方も変えた。上から支店長、営業課長、係長と続き一番下に運転手と書かれていたのをサッカーチームのメンバー表のように一番上にフォワードであるSDの名前を連ねて書き、一番下のゴールキーパーのところに支店長の名前を置くように変えた。SDには車の運転以外に、荷物を探し、伝票を書き、荷物を運び、コンピュータに入力し、集金し、問い合わせに答えるなど多様な現場の業務すべてをこなしてもらうことになった。当初文句を言っていたドライバーたちもお客様からお礼を言われたり、仕事に慣れてくるうちに達成感があり、やり甲斐があることに気づき、だんだんやる気が起こってきた。また、集配、仕分け、輸送、配達と分業体制で仕事をしていても目的(たとえば翌日までに届ける)をはっきりと理解し、その達成に責任感を持って仕事をしている。そこが宅急便と郵便小包のサービスの違いとなって表れる(p181、p178-179、P172-174)。

★i.宅急便の集配車はSDの乗り降りが非常に多い。1日に80回くらいは当たり前である。SDは後続車がないか確かめたうえで扉を開け、地上に降りてから左側の歩道に回る。荷物室に入るには、いったん地上に降り、後ろに回って後部の扉を開けて入る。また、荷物室は天井が低いので腰を屈めて荷物を運び出している。このような不便を解消する車をトヨタ自動車に開発してもらった。助手席をなくして左側の扉から地上に降りられるようにし、運転席から直接荷物室に入れるようにし、荷物室の天井もSDの頭がつかえない高さで設計してもらった。また、荷物室にはクール宅急便のための冷蔵庫を搭載し、運転席には無線機、現金収納箱、事務机などを装備し事務室を兼ねられるようにした(p218-221)。

★j.宅急便の沿革は行政との闘いの歴史でもあった。小倉氏は監督官庁である運輸大臣を相手取り「不作為の違法確認の訴え」を起こしたり新聞広告という手段で正面から行政と戦い、世論を味方に付けて無用な規制を取り払っていった(その経緯についてはp158-168)。ここでは日下公人氏による解説を紹介する(日下公人・谷沢栄一著「けじめをつけろ、責任者!」1996.5.10第1版:PHP)(p81-83)
闘う姿勢を見せよう、最後は正しい方が勝つ
闘い方は色々ある。たとえばクロネコヤマトの小倉昌男さんの話を紹介します。
傑作な話がいくつもあるんですが、小倉会長は全国展開をしようと思った。全国的なシステムを作れば採算が成り立つからです。ところがトラック協会は地域別で、地元のトラック協会が反対する。たとえば山梨県は有力者がいて許可がでない。「この会社に委託しろ」と言うわけです。でもそれではコスト高になるから商売にならない。思いどおりのサービスもできない。全国統一サービスでなければ意味がない。「ごっつん免許」という言葉があるんです。実におかしな制度なんですけど、その地域においてあるていど黒字の実績がないと、お役所が免許をださない。だから「実績証明書を出せ」と言われるんです。それで実績づくりをやりだすと「無免許商売だ」と叱られる。(谷沢 なんとまあ目茶苦茶な)。 ともかく無免許、モグリで商売をして実績証明をつけていくしかない。すると「おお、実績があるか。よしよし、免許は下してやる。しかし今まで違法だったな」と、ごっつんと殴られるという-これが「ごっつん免許」(笑)。
だから小倉さんはごっつん、ごっつんとやられながら、ともかく全国に展開していったわけです。とうとう最後まで残った県がいくつかあった。それで新聞に全ぺージ広告を出した。 ただし最後まで残った青森県と山梨県は、日本地図でそこだけ真っ白け。それを人が見て「なんでここだけ真っ白なんだ」って(笑)。そうやって顧客を味方につけて、ようやく全国展開をした。 あるいは何か新種のサービス、たとえば本を1冊380円で送るとか配達日指定制度とか。そういうのはやっぱり許可されなかったんです。いろんなサービスを考えても、運輸省が「待て」と言ったきり許可してくれない。これは私の勘繰りで言えば、他の可愛いトラック会社ができるようになるまで待たせるわけですね。そこが「自分のところでもできます」となったら許可するんだと思います。非加熱製剤のエイズ事件にも同じ噂がありますが、ともあれそのときクロネコヤマトはやっぱり全ぺージ広告を出して、「お客さまのために、6月1日からわが社はこういうサービスをやる予定です」。そして一番最後のところに小さく「運輸省が許可すれば」って書いてあるんです。(谷沢 やりますねえ(笑)。それで運輸省は10月1日かなんかに許可しました。意地で6月には許可しないんですけど(笑)。でも、こうやって闘っていけばいいんです。民間のためにつけ足しておくと、私の友人が運輸省のしかるべき地位に何人かいた。訊ねてみると「いや、ああやってくれて実は嬉しいんだ」と言うのです。その新聞を持って国会議員のところに行けるから国会議員は地元のトラック屋が可愛いから、許可するなって言っている。「でもここまでやられちゃ仕方ありません。もう許可します。ご勘弁を」と、自民党の中をずっと回って歩いたという。だから運輸省を応援してあげるという意味でも、闘うことが必要なんですよ。民間も意気地なしが多すぎると思いますよ。そしてなんで民間が意気地なしかという原因の一番辛辣なのを言えば、自分もけじめを怠っているからですよ。(谷沢 そのとおりです)。

★k.引くものか、クロネコヤマト死闘篇(同書p137-138)
役人との闘い方なんですが、ひとつ面白いエピソードを紹介します。
クロネコヤマトが宅急便でどんどん小包を配達するのは、郵政省とし
ては面白くなかったんです。それを何とかやめさそうとして、こんな
手を使った。郵便局では小包をだすとき、「中に手紙は入ってません
ね」と聞く。(谷沢 絶対聞きます。うるさいですよ)。クロネコヤ
マトは聞かずに運んでいるから、中に手紙が入っているのもあるに違
いない。郵便法の中には何人も信書の配達を業としてはならないとい
う条文がある。あきれた話なんですが、郵政省は岐阜県の郵便局に歳
末貯金増強のポスターを宅急便で送った。その中に「これは、こうい
う風に貼りなさい」という手紙を入れておいた。クロネコヤマトは、
なにも知らないから配達したんです。それを郵政省が持って来て「御
社は信書を配達した。これこの通り」。貼り方を書いてあるそれが信
書だと言ったわけですよ。クロネコヤマトは「これは使用法の説明だ
から、送り状である」と言うんだけど「いいえ、これは信書です。御
社は郵便法違反である。今後はやめてもらいたい」と言って来た。小
倉社長は、なんて卑怯なやり方をするのかと腹を立てましてね。弁護
士を呼んで送り状と信書の違いを調べたら、明治以来今日まで信書の
定義を争った判例がない。法律は一度も発動されたことがないし文句
をつけた国民もいない。だからこれは裁判にして、裁判所のご判断に
任せましょう。「信書か送り状かは、裁判で徹底的にやりましょう」
と答えたんです。それが効いたんですね。もうなにも言わなくなった
から、いまはバンバン送ってるそうです(笑)。この本を読んで小
倉氏の経営の原点はb.《安全第一、能率第二》であると思いました
。ここから《サービスが先、利益は後》が生まれ小倉経営学ができあ
がっていったのだと思います。小倉氏は「サクセスストーリーを書く
気はない」とまえがきで述べられていますが(p3)、本の構成や話の展
開が論理的、合理的であるためにサクセスストーリーのように読める
かもしれません。もっと選択肢の検討過程が織り込まれていればとも
思いますが、わかりやすくて参考になる本だと思います。 ご一読を
お勧めします。