(浄土)真宗の葬儀ではお清めの塩をつけない。塩をまくのは穢れををはらうため、言いかえると命を終えた方は穢れている、?。真宗では「命を終えた方」というのは「生まれた責任を果たし終わられました」ととらえる。だから葬儀に「お清め」という儀式は必要ない(加来雄之師法話集より)。一つの「考え方」であるが死(命を終えること)を通して生きている意味をどのように受けとめるのか(自分は生まれた責任をどう果たすのか)。考えるきっかけにしてみたい。